蘭奢待、という言葉の響きが好きなのだが、曰く、色々と運命を狂わせてきた宝物だといい、後世の歴史家からすれば、その扱いには注意を要するものと言えようか。
先日、神田松鯉先生が赤穂義士を知らない若者が増えてきているという話をされていたのだけれど、同じように蘭奢待を知らない若者もきっと増えていくのだろうと思う。各地に残された歴史や民族を伝える博物館や展示館もそのうち「用済み」とされる日は近いのだろうか。
この国では口に出来ないような話。
蘭奢待、という言葉の響きが好きなのだが、曰く、色々と運命を狂わせてきた宝物だといい、後世の歴史家からすれば、その扱いには注意を要するものと言えようか。
先日、神田松鯉先生が赤穂義士を知らない若者が増えてきているという話をされていたのだけれど、同じように蘭奢待を知らない若者もきっと増えていくのだろうと思う。各地に残された歴史や民族を伝える博物館や展示館もそのうち「用済み」とされる日は近いのだろうか。
武田信玄の上洛を契機に足利義昭は織田信長と訣別した、というのだけど、改めて思うと、あの時代の通信網、あの時代の関係性で武田信玄がどれだけ足利義昭に情報を出していたか、というのは甚だ疑問の余地は多いような気がする。
朝倉義景の撤退を嘆くシーンが武田信玄の大河ドラマかなにかであったような気がするが、双方向コミュニケーションが今以上に不利な感じは想像もできないんでしょうね。
それにしても、剣術の稽古のシーン。やっぱり、何事も師匠が大切なんだな、と思わせる。どんな立場であれ、どんな職位であれ。
個人的な主観かもしれないが、足利義昭という存在をしっかり描ききったのは、今回が初じゃないだろうか、とも思う。もちろん、時代劇が衰退していて、本数もない中、いわゆる三英傑とその重臣達に光があたってしまえば、足利義昭なんていう存在は端役には過ぎなかったのだけれど。
12月に入って、大河ドラマは越年が決定してはいるものの、本能寺までの過程にはまだまだ多くのイベントが多い。結構駆け足になりそうな予感がしている。
比叡山焼討ちのその後。
神仏に仕えるような人間が俗世の欲に塗れていた是非はさておくとして、改革者としての信長が比叡山を焼討ちして、亡き者にしたというのは、ある意味革命ではあったとは思う。そこにおいて、女子供は見逃せ、と命じたものをどう、捉えるか。光秀は見逃せといい、信長は次はない、といった。
この世の中にはある種のプロトコル、ルールがあると思う。それを守れない者は滅び去るのみ。信長はそれを体現してみせただけだと思うが、どうだろうか。
当時の比叡山がどのようなところであったのか、というのはあちこちで語り尽くされている感があるので、それは置いておくが、今回は個人的にはあの「薬売りの少年」が何かの伏線なのではないかな、という気がしているが、どうだろうか。
落語家芝居とはいえ、小朝の天台座主の演技はそこそこ良かったとは思う。だが、なんか、あちこちに伏線が張り巡らされている感じがしてしまって、どうも、こう、本筋にスッと入っていけない感じがあった。
コロナ禍ではないのであれば、もう少し激しい焼き討ちのシーンが撮れたのだろうか。そんなことを考えてしまう。
史実では姉川の合戦あたりなのだけど、姉川の合戦は戦国無双における本多忠勝と徳川家康の会話が頭にインストールされてしまっていて、なんか、この鉄砲二百、というのがどのような意味を持たせたかったの、という感じがした。
筒井順慶が出てきたが、姉川の合戦が終わったということは浅井長政の出番はほぼ終わり、ということで、架空のキャラクターは良いけど、史実キャラクターを登場させるのであれば、しっかり描いて欲しいなあ、とも思う。
いわゆる、金ケ崎撤退戦。
浅井と朝倉との争いはこの後も続くのだけど、金ケ崎撤退戦は、光秀の活躍とともに、秀吉の活躍もよく語られるような気がする、今回は秀吉もしっかり噛んでいて、その辺は意識されている感じだろうか。
帰蝶再び。そして、正親町天皇の存在感、といったところか。
サイドストーリーで、光秀の家族と、三淵の計略の暗部が暴かれているのだけど、世の中の事情とはいえ、今少し、帰蝶の存在感は出せないもんですかね。話はこのまま金ケ崎の戦いへ繋がるのだけど、物語の残りの尺を考えると長篠や、武田討伐あたりの話はナレーションスキップになってしまうのだろうな。
見所は、摂津こと片岡鶴太郎の怪演ぶり、関白近衛と十兵衛との邂逅での鼓を打つシーン。そして、伊呂波太夫が今の帝と邂逅したとの自分語り。
長く続いた、あるいはおおきくなりすぎてしまった組織が崩れて内側から腐って行くのはなにも幕府に限ったことではないが、腐りっぷりが摂津の演技一つで納得感が出てしまうのはさすがの名脇役と言ったところか。
信長目線で観た重要な史実エピソードが随分すっ飛ばされた感じがあるんだけど、美濃平定から、上洛までは、こんなもんだったかなーという印象。そこは明智光秀目線だから良いのか。
初登場の摂津晴門は片岡鶴太郎。軍師官兵衛で赤鼻の城主をやっていたとき以来だと思うのだが、この人はこれくらいの「怪演」っぷりが出たほうが良さが引き立つと思う。