今日から3月(2023年)

早いもので、もう3月。年初に決めたはずの色々な約束事は2月に漏れなく崩壊してしまったような感じがする。唯一続いているのはチョコザップ通いくらいなものだろうか。それも続いているだけ、良しとするべきなのかもしれない。

物欲がなくなって、色々なことにモチベーションが持てなくなって、しばらく経つのだけれど、どうしたら回復するんだろうか。在宅勤務が続いているせいもひょっとしたらあるのかもしれない。日常での「刺激」というのは多少なりとも必要だな、と思う。

2022年振り返り

今年も残すところ、あと数時間だが、1年前の投稿を振り返ってみたところ、絶望的なことしか書いていなかった。結局、体調が良くないと、思考能力さえ減退し、ろくな文章すら書けないのだ。

では、2022年は多少はましだったのか、というと、そうでもないのだが、11月半ば位から、多少は体調が良くなっているような感じはしている。縁切り榎にストレスとの縁を切りたいと願をかけたのは、たしか今年だったと思うが、ストレスと縁が切れたか、というとそうではなくて、相変わらずストレスを感じることは続いている。ただ、思い込み度合いは随分浅くなった。結局は考え方次第というところだろうか。

相変わらず「良い出逢い」は今年もなかった。結婚願望がないわけではないし、そういう活動をしたいとも思ってはいるのだが、そこにたどり着くだけのパワーがなかった。

今年の収穫は、おそらく、LAST SHIPシリーズをコンプリート出来たこと。パンデミックがこれだけ広まったときに、Season1とSeason2の記憶を呼び起こしてはいたのだが、もっと早く観ておくべきだったと思う。ウィルス騒動が呼び起こしたであろう、人間の「善い面」と「醜い面」は、多分、現実世界での思考に置き換え可能だったはずだ。

2023年へ向けての抱負は今のところはない。モチベーションの問題だが、唯一あるとすれば、戸隠神社を訪問したいという欲望が叶えばいいかな、という程度かもしれない。

やる気がないということ

やる気がないというのは非常に恐ろしいもので、何かしら、「やるべきこと」とか、「やっておいたほうが良いこと」みたいなものの存在は認識してはいるのだけど、そういうものに対して手を付ける気力というか、モチベーションのようなものが一切わかない。わいてこない。

少し前の自分だったら、無理矢理にでもなにかをやっていたような記憶があるのだけど、そんなものすらなくなってしまったのか、と思うとなんだかとっても虚しく感じてしまう。

諦めの境地

諦めの境地、なんて言葉がひょっとしたらぴったり来るのかもしれないな、とも思うのだけど。なんか、もう、モチベーションとか、やる気とか、高めようとする傍から全否定を喰らうので、もう、諦めの境地に達してしまっている。

それでもやらなくてはいけないこと、というのはあるもので、それはそれできちんとこなしてはいるつもりなのだけど、それでも、相応の対価、相応の感謝、なんてものがついてこないのであれば、人は人としてモチベーションなんか、ダダ下がりになるものなのだな、と思ってしまっている今日この頃。

現実逃避としての講談

6月に入って、世の中は徐々に通常に戻りつつあるのだけれど、認めたくもない現実が嫌がおうにも見えてきてしまって。モチベーションはすっかり下がっている。渋谷区は路上喫煙禁止だし、会社は密を避ける、とかで喫煙所を閉鎖してしまった。眠気を覚ます術すらなく、上司は相変わらずアホみたいな事しか言ってこないので、ろくに口も聞かずにダンマリを決め込んでいるので、なんか、日々現実逃避に走りたくなる感じ。

Youtubeに中京テレビがあげていた太田上田の映像を観て、神田伯山という講談師が真打ちに昇進したことを知り、最近は彼の映像ばかり追いかけている。

講談という世界は知ってはいたけれど、神田紅が若い頃の話で、すっかり「女のもの」というイメージがあったのだけれど、やはり、知らない世界はまだまだ、あるものだな、と思っている。

結局、何も出来ていない。

結局、何も出来ていないのではないか、という気がしている。しなくてはいけないこと。読まなくてはいけない本、書かなくてはいけないコード。たくさんのTODOリストはあるのだが、全くといって良いほどこなせていない。

「意識高い系」というパワーワードが流行った時期が数年前にあったのだけど、何か間違っているな、と思い込んでしまって、意識高くあることを捨てた。それ以来だ。何かにつけてモチベーションを失ってしまったのは。