震災からの復興

明日は3月11日なのだけど、震災からの復興をテーマにした遅いインターネット会議。ラジオっぽく聞いていたのだけど、結局この10年でこのクニは何も変わらなかったのではないか、と感じる。

安倍晋三の休校要請を後先考えずに思いつきで出した、という批判があるのだけど、このクニに足りないのは結局「責任を取ることのできる責任者」ではないのか、と思う。安倍晋三が本当に責任を取るかどうかはそのうちわかると思うのだけど、誰かが決断して、誰かが実行策を考えて、実際の統治を行っていかないといけない。責任を取りたくない責任者達が責任を取りたくないが故に何も決断しない。この10年、そんなのばっかりだったのじゃないか。

後先考えている暇があったら、とりあえずやってみなはれ、という気風がもう少し広まっていくといいな、と思う。これは結局「失敗を許容する社会」を広めよう、ということになってしまうのかもしれないけれど。

【書評】遅いインターネット

著者が言う所の「遅いインターネット計画」には全面的に賛同はする。だが、この本は何か「片手落ち」な感じがする。何かが足りない。

一番引っかかったのは冒頭のリオ五輪のセレモニー。著者は、日本が過去の栄光でしか自国を語ることができなくなった、と嘆く。確かに、ドラえもんや、マリオであったり、そこに安倍晋三が乗っかってきては嘆きたくなる気持ちも解る。だが、土管から安倍晋三が出てきた後に、描いたセレモニーは日本のテクノロジーを語るものではなかったのか。どうして、そこに一切触れていないのかわからないし、何にせよ、冒頭の君が代の演奏は、スタジアム全体に脱帽と起立を求めつつも、日の丸がフィールドに描かれる、というある意味衝撃的なものだった。何か、自分に都合よく物事を切り取っていないか。

一方で、インターネットが「早くなって」しまったのは事実だ。インスタンスな書き手と、それを受け取って潮目を読みつつ、石を投げ続ける受け手。そんな輩を撲滅する必要があるのは事実だと思う。

著者のオンラインサロンでこの本を受けてのその後が「補完」されることを期待したいと思う。

遅いインターネット始動

遅いインターネットの本サイトが始動した。

宇野常寛氏の言動には以前から興味があって、PLANETS CLUBも入ろうかどうか、さんざん迷った挙げ句にこの1月に加入した。「遅い」インターネットと「速い」インターネット。その違いとか、定義付けがいまいち明確になっていないのだけど、最初の3本の記事は良質だと思うし、所々にはその背景をわかっていると、クスッと笑えるような記述もある。自転車と教習所とかね。

そもそも、このドメインではトップのページのほうにはもっとサブカルや教養的な話をまとめたいな、と思っていたので、遅いインターネットにインスパイアされた何かを書いていくことができればいいな、とは思う。

ただ、それをTwitterやFacebookのSNS系は全然考えずに、とりあえず発信させれば良いという方向に行った。結果、人々はより考えなくなってしまった。

https://slowinternet.jp/article/20200217_3/

未だに一つ、解決されていない疑問が僕にはあって。それは、遅いインターネットの言説のひとつに、「人々は考えなくなってしまった」というのがあるのだけれど、なぜ、考えなくなってしまったんだろうか。そこの疑問が取れていない。考える力。慮る力。そんなものが無くなってしまったのは何故なんだろう。