今日は終戦の日。オリンピックで原爆投下前後のドキュメンタリーシリーズは流れてしまった感じがあるけれど、さすがに今日は戦争の話題を中心にしたドキュメンタリーが流れまくっている。
戦後復興の総仕上げとして前回の東京オリンピックがあったのであれば、今回の東京オリンピックの存在意義ってなんだったのだろうか、とふと、考えてしまうのだが・・・
この国では口に出来ないような話。
今日は終戦の日。オリンピックで原爆投下前後のドキュメンタリーシリーズは流れてしまった感じがあるけれど、さすがに今日は戦争の話題を中心にしたドキュメンタリーが流れまくっている。
戦後復興の総仕上げとして前回の東京オリンピックがあったのであれば、今回の東京オリンピックの存在意義ってなんだったのだろうか、とふと、考えてしまうのだが・・・
東京オリンピックが開幕して、なんとなくテレビで観ているのだけれど、今ひとつ、自国開催だったり、自分の生活圏の開催であることの実感が持てないのは何故だろう。河川一つ、超えた都市の向こう側はこんなにも距離があっただろうか。
後世の歴史家が決めるであろう、今回の開催の是非はともかくとして、もう少し、何か自分なりに楽しめるものだと思っていたのだけど、なんだかうまく楽しめていない。
「テレビを観なくなった生活」というのも何処かに影響しているんだろうか。所詮はオリンピックもテレビという魔法の箱が作り出す感動装置に過ぎないのかもしれない、と。
東京オリンピックの開幕式が行われている。数日前から、競技は始まっていて、この流れは止めようがないのだけれど、コロナウィルスが猛威をふるう世の中で、オリンピックを実施するのが良いのか、悪いのか、それは後世の歴史家が決めれば良いとは思うが、始まってしまった。
商業主義に毒されてしまった流れは止めようがないのかもしれないが、何か止める術はなかったんだろうか。ここまでして、オリンピックをやる「意味」とか、「意義」があるのか、今の時点ではどうも判断しようがないと思う。
春先に、Facebookで繋がっている古い友人が「五輪中止が決まった」旨の書き込みをあげていて、彼はまあ、そういう方面の仕事をしているので(敢えてぼかすが)、まあ、そうだよね、と思ったのだけど。
なんだかんだで開幕する方向で遂に1週間前である。
例の「ボッタクリ男爵」も来日したらしく、ワクチン接種の機運も高まってきて都心辺りは今頃盛り上がっているんだろうか。もう3ヶ月ほど都内に入っていないけど。ここから急転直下の中止決定とかないかなー。ないよな。
人生のうちで、自分の生活圏の中でオリンピックが開催される機会なんて本当に1回あるか、ないか、なんだから、本当だったらもっと、ワクテカしたんだろうな、とは思う。
いよいよ7月に入るわけなんだけど、都議選を経由して、オリンピック実施モードに切り替わりつつあるんだが、まじで東京オリンピックやるのか、と思ってしまう。
未曾有のパンデミックの状況で、米国や、ヨーロッパに比べて1周半はワクチン接種が遅れているこの国で、空港の検疫も、選手の隔離もガバガバで、路上立ちのみが横行してモラルも低下しまくってしまったこの国に、オリンピックを実施する資格があるんだろうか。
結局は「利権」という金に群がる政治家と一部の特権階級のため、という話に落ち着いてしまうのだろうけど。