鈍感力

鈍感力を養う機関、それが今の日本の義務教育の実態である。

Xでも、少し、書いたのだけれど、鈍感力を養うことが「出来なかった」、あるいは「出来ない」子供達というのは、往々にして、何か「尖った」子供が多くて、そういう子供達が、N高のような外部の(本流ではない)教育機関に流れている、という話題を耳にしたことがある。だけど、全部が全部、そうではなくて、中には「尖っていない」「鈍感力を養えない」子供達がいるのもまた事実だ。僕自身が、多分、そういう系統だった。

鈍感力を養うことが苦手で、でも、何も輝くようなものを持っていない、ごくごく「一般の」人間は、この国では見捨てられるのが現状だ。悲しくてもそれは、現実なので受け入れるしかない。

多分、この国の教育体制は、そう、大きく変革することは無いように思える。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と肩で風をきって歩いていた時代はとっくの昔に去ったのだけれど、それでも、古式ゆかしく、本来の(間違っていてもだ)やり方を守り通すのがこの国のやりざまだからだ。何者にもなれなかったような人間は、慎ましく、消えていくしかない。それが現実社会。

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