部長面談

水曜日、夏休み前に部長面談をやりました。個人的にはあんまり良い感情を持っていないのですが、まあ、この人はいいボスなのかな、とは思っています。部長なんてひらクラスの社員が親しく話すようなクラスではないと思うのですけどね。4000人規模の会社だと。

言われたのは成果のスピードを上げろ、ということ。いや、まあ、自覚してますよ。ただ、縦割りでプロジェクト回しているし、成果を早く上げようとしたら、あちこちから妨害入るし、遠慮してます。っていう考えはそのまま話したので、その辺は改善されることを期待。ふだんからもっとコミュニケーションがあれば、良いボスっていう認識はもっと定着するんだろうけど、ま、それはしないほうがいいんでしょうね。

そろそろ夏休みシーズン

最近は、周りをみて言いたいことも言わないことを覚えましたけれども。そろそろ夏休みシーズンということで、仕事上で一緒にやりたくはない人が1週間いなくなって非常に快適な季節になります。やっぱり対人スキルが弱いなあ、とつくづく思いますね。
35年も生きていればうまくいくこと、うまくいかないこと、色々あるとは思うのですが、この辺のスキルだけは本当に後悔。

身近な人が亡くなる事

小学生の頃、母方の祖父が死んだ。小学校の低学年の頃までは、夏休み毎に母の実家がある摩周湖近くへ遊びに行くのが恒例で、祖父にも夏祭りの縁日や、パチンコ屋に連れて行ってもらったようなうっすらとした記憶はあるのだが、正直、亡くなった祖父の横で母が泣いている姿しか記憶にない。当時、小さかった僕は、多分火葬の間、従兄弟達と祖父母宅で待っていた。その程度の記憶だ。

Nが死んだのは大学院に入ってすぐだったような気がする。大学のサークルで一緒で、確か留年していた。バイクに乗る奴で、そのこと自体はどうでも良かったが、バイクの事故で死んだ、と聞いた時は正直、ばかだなあ…と思った。しかも千葉の街中でだ。葬儀の後、Nの墓参りをする、というので沼津のほうまでサークルの連中と連れ立って行った。誘われたから。それだけだった。でも、涙ながらに語るご両親の顔はいまでも憶えている。

一番身近に死を感じたのはHが亡くなったときだ。河合塾で1年間浪人生活をともにして、いろんなコトを一緒にやって、大学に入ってからも半年に1回は一緒に飲んでいた。社会人2年目の春で、GW間近の時だった。丁度1年くらいまえに、癌になった、と告白されて、半年ほど入院していたのだけど、それとなく見舞いには行っていたし、そんなに簡単に死ぬもんじゃない、と思っていた。煙草も吸わないし、酒だってそんなに飲まない。でも、最後は簡単にあっけなく亡くなった。親友の女性から亡くなった、と電話を受けた瞬間は今でも覚えているし、忘れようもない。葬儀では彼女と一緒に参列して、結婚を考えていたというHの彼女らしき女性が呆然と座っているのを遠目に観た。お父上とお母上がわざわざ声をかけてくださって、「あなたが一番の親友だと言っていた」と聞かされて、少し泣いた。あれから8年。

僕の身には色々なことがあったし、あの時、何故死んだのが彼だったのかは今でも時々考える。でも、それだけでしかない。

今回の震災で多くの人が亡くなった。生き残った人はどんなことを考えるのだろう。

産経の道丸記者のコラムを読んで。

精密検査結果

伊藤病院に精密検査の結果を聞きに行ってきました。結論から書いてしまえば、手術をしたほうが良いであろう、と。まだ、よく整理できていないし、受け入れることも出来ていないのですが、15年ほど前に千葉大医学部病院で検査して、良性で、特に問題なかった甲状腺の腫瘍が50ミリほどの大きさになっており、周囲にも小さな腫瘍が4,5個できています、と。超音波画像だけ見れば、良性だとは思うが、念のため、2ヶ月後に細胞検査をしましょう、と。

細胞検査は細胞検査として参考にはするけれど、それは良性であることを確認するための検査であって、手術して取っておいた方が医者としては良いと考えます、と。手術のための入院は約1週間、ただし、今は病院が混んでいるので半年後、つまり細胞検査が12月だから、来年の夏ですね。

うまくやれば夏休みと調整できそうだけど、術後しばらくはおおきな傷も残りそうだし。手術しない、っていう選択肢もあるみたいなんだが。どうしたもんか…

ある意味で仕事初め

今の会社に移って、大体、夏休みは今の時期にとっています。年度替わりは9月なので、夏休み明けがある意味では仕事初め。社内政治、というかパワーゲームが結論を見ていないので、何も先は見えないですけどね。やっぱり転職をするべきなのかもしれない。

今日は自己評価の面談があったのですが、結局、個人的な「収穫」は何もなかった。「成果主義」なんて、結局日本ではまやかしの類なのかもしれません。

やれやれ。

やっと夏休みです。連休絡めて再来週の火曜日迄。今年も京都へ行こうと思うのですが、飛行機で行ってみようかと。国内線なんてもう何年も使ってないし、ある意味ミーハーな感じです。伊丹まで飛んで、そこからバスと列車で京都まで。下鴨神社も行ってみたいかな。本当は貴船神社かな、とも思うのですが。

効率的にやれば出来る

今の会社に入ったころ、あまりの会議の長さに辟易した。途中からでなくなったのだけど、出たら出たで3時間は最低拘束されるので、本当に必要でなければ出ない。
原因は「喋る奴がだらだらと喋る」から、というのは明白で、仕切り役がきちんとしきればいいだけの話なんだが、それが出来る人がいない。が。今日の会議は「喋る奴」が殆ど夏休みで欠席。議事録取りで出たけど、普段の半分で終わったという。効率的にやれば出来るんだよね。

今日は涼しかった

お盆weekなので、全般的にお休みモードな感じですかね。電車もすいていたし。今年も夏休みはシルバーウィークにかぶせて京都へ行くつもりですが。出来れば9月いっぱいで転職方向性を出したいのだが、ちょっと無理っぽいかな。今週は何も予定がなくて、明後日の飲み会くらい。来週は面接2本です。ちょっと微妙な感じ。

信念を貫くこと。

沈まぬ太陽を観てきました。日航の123便が墜落した時、僕は確か9歳で、釧路にあった従兄弟の家に夏休みで遊びに行っていて、サンバルカンの再放送を観ていたことを何故か克明に覚えています。9歳の子供に画面上部に出るテロップの意味などわかるはずもなくて、なんだかテレビが大騒ぎになっているなあ、というのが当時の印象でした。詳しく知ったのはそれから何年も後のこと。

あれから25年近く。僕の身にはいろいろな事が起こって、苦しみ、悲しみ、喜び、いろんなものを経験してきた。それでも、僕は映画の冒頭20分間、荒涼と広がるアフリカの大地と、大地へ突っ込む123便を模した映像、そして、遺体と対面する遺族達の描写に涙が止まりませんでした。演技力とか、役者の素晴らしさとか、そんなものではなくて。STARWARSのオープニングのようなアドレナリンを感じることもなくて。ただただ、単純に展開される物語の描写に。

世の中にITという概念がなかった時代。テレックスが最新鋭の機器だった時代。それでも信念を貫いた恩地に共感を感じつつ。123便の事故で犠牲になられたすべてのみなさんに哀悼の意をささげたいと思います。そして素晴らしい物語を紡ぎだしたすべてのみなさんに賛辞を。



夏休み最終日

まあ、最終日って言っても特に何もないんですけどね。実家に行ってきたくらいで。都内の下町っていうのは、しばらく見ないといろんなものが少しずつ変わっていて面白いとは思うのだけど。ああいう下町も結局そのうちなくなるんだろうか。