虚構新聞とsocial

虚構新聞の橋下大阪市長の記事があれだけ叩かれたのは、webが一部のgeekのものではなくなってしまったからだと思う。スマートフォンの発達、広がりと、パケホーダイが当たり前になり、twitterは一気に「庶民」のものになった。1次ソースにあたる習慣はなく、権威ある場所で叫ばれていれば、それは「真実」になる。権威ある場所というのは、何も有名なマスコミにかぎらず、おそらくはそこにtwitterも含まれる。

twitterで流れているから。

それが真実を裏付ける根拠になってしまう。本当は「虚構新聞である」にも関わらず。情報を流すほうが悪いのであって、情報を解釈するほうにリテラシは求められないのか。それは間違っているとは思うが、きっとそんなことは「マジョリティ」にはならないし、おそらく多数決で負ける。

結局socialがここまで広まってしまったいま、我々は「受け手のレベルを斟酌して」情報を流す必要があるのだ。

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