麒麟がくる#11「将軍の涙」

将軍の涙、というタイトルがいまいち不明だったのだが、将軍がタイトル回収に来たのには少々心がざわついた。

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でも、今回の今川家はこれまでの大河ドラマと違って「お公家さん」「お歯黒さん」という感じがなくて、有能な為政者という感じが出ていて良いな、とは思う。近々で信秀が死にそうだし、信長と道三の会見が次の見せ場になるだろうか。きちんと描かれれば、の話なんだけど。

二手三手先を読む

戦いとは、いつも二手三手先を考えて行うものだ。

シャア・アズナブル「機動戦士ガンダム」

常に先を読むことの大切さを語っていたのは、あの赤い彗星であるが、こんかいのウィルス危機に際して、勤務先の上層部はどうやら何も考える事ができていないらしい。

稀代の名将、野村克也は、「人を遺した」と言われ讃えられているが、リスクヘッジと人材育成は組織運営における基本中の基本。イロハのい、である。それが出来ていないとは日本人の組織運営も落ちぶれたものである。

そして、先を読んで案を出していく人間を叩き潰すのを是とする、風潮。なんなんでしょうね、この社会は。

リモートワーク

小池百合子が、というか、東京都がメッセージを出してくれたおかげで、勤務先も本気でリモートワークモードになった。「企業倫理が問われる事態」などというなんとも微妙なメッセージを全社員に出していたのだけど、そんな事は3ヶ月前に言えよ、という話である。

笑い話でしかないのだけど、2年位前から、働き方改革を謳ってきた勤務先はなにかにつけ、「リモートワークできます!っていうかしましょう!」とマスメディアや、ハフィントン・ポストのPR枠を買ってアピールしてきたわけなんだけど、実態は維持できる同時接続数が100を超える程度で、サーバにさえアクセスできなくなるという有様だそうだ。国の助成金を申請してこれから回線強化するんだと。超絶ブラック企業が無理にホワイト企業を装うから、こういう事になる。

それはそうと、ガチのリモートワークを初めてやってみたんだけど、思っていたよりは集中できた。アルバイト相手の業務がなしで、コーディングだけしてるんだったら、もう出社の必要もないし、満員電車に揺られる必要性もないわけだな。

超写実絵画の襲来

渋谷駅のポスターで見かけた展覧会に会社をサボって行ってきた。

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昔から写実絵画は好きなジャンルなんだけど、良いものを観せて頂いたと思った。素直に。抽象的な絵画だけが、絵画ではないよね、と思う。写実的な「何か」を描き起こせてこそ、絵画に対して「生命を吹き込む」事が出来ていると思う。

麒麟がくる#10「ひとりぼっちの若君」

想像の範疇を出ないのだけど、帰蝶は川口春奈で良かったんじゃないかな、とは思う。沢尻だったら、ちょっと毛色が違うシーンになったんじゃないか。光秀との掛け合いもね。

https://twitter.com/nhk_kirin/status/1241560324265967616

メインタイトルは、そのまんま、若き日の徳川家康の事を指すのだけど、見どころは冒頭、尾野真千子の登場と、駒が探す「大きな手のお侍」が桔梗の御紋と結びつく所だったと思う。

今日からは、この子を妹だと思いなされ。この子が哀しい時は一緒に泣いておやり。

麒麟がくる#10「ひとりぼっちの若君」

池端俊作さんの脚本は、ところどころに、何か「光る」台詞があって良いですね。

暑ければ寒いと云え

暑ければ寒いと云え、悲しければ笑え、とは虎哉宗乙の言葉だったが、その真意は、人の上にたつものが滔々と不満を口に述べてはいけないということ。我慢の出来ない奴は大将足る器ではないということだ。

「義を説き、範を垂れる」とカスペン大佐に詰め寄ったのはキャデラック特務大尉だったが、これも指揮官の何たるかを語った言葉。

なんだか、美しい指揮官、モデルロールとなる人がいなくなってしまったような印象が最近している。悲しいけれど。これも老害の一種なんだろうか。

麒麟がくる#9「信長の失敗」

帰蝶輿入れの後日談と菊丸の正体。そして、妻木照子に会う。

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菊丸の正体が忍びだろうな、というのは想像ついていたので良いとして、松平広忠をあっさり殺して、それを「信長の失敗」と言ってしまう作りはどうなんだろう、という感じがしたのと、妻木照子はなんだか、「妖精さん」のような登場の仕方でちょっといただけないな、と思った、正直。

でも9回でここまでしか描けていなくて、この後、道三と信長の対面や、信長の尾張統一とかも描くとなると、1年の流れのなかで重きがおかれるのは何処なんだろうか。越前に逃れた光秀と、尾張の帰蝶、都にいる駒。物語のバランス配分が大切になってきそうだ。

震災からの復興

明日は3月11日なのだけど、震災からの復興をテーマにした遅いインターネット会議。ラジオっぽく聞いていたのだけど、結局この10年でこのクニは何も変わらなかったのではないか、と感じる。

安倍晋三の休校要請を後先考えずに思いつきで出した、という批判があるのだけど、このクニに足りないのは結局「責任を取ることのできる責任者」ではないのか、と思う。安倍晋三が本当に責任を取るかどうかはそのうちわかると思うのだけど、誰かが決断して、誰かが実行策を考えて、実際の統治を行っていかないといけない。責任を取りたくない責任者達が責任を取りたくないが故に何も決断しない。この10年、そんなのばっかりだったのじゃないか。

後先考えている暇があったら、とりあえずやってみなはれ、という気風がもう少し広まっていくといいな、と思う。これは結局「失敗を許容する社会」を広めよう、ということになってしまうのかもしれないけれど。

麒麟がくる#8「同盟のゆくえ」

帰蝶、濃姫が織田家に嫁ぐの巻。

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次回予告の映像から、信長と帰蝶の絡みがあるかと期待していたが、そうではなかったのと、駒を京都に帰して、なんだか、「つなぎ」の回の印象。松平広忠を出してきたのだけど、あれはなにかの伏線なんだろうか。次回予告に出てきた菊丸の台詞も何か「意味深」でしたしね。

【書評】遅いインターネット

著者が言う所の「遅いインターネット計画」には全面的に賛同はする。だが、この本は何か「片手落ち」な感じがする。何かが足りない。

一番引っかかったのは冒頭のリオ五輪のセレモニー。著者は、日本が過去の栄光でしか自国を語ることができなくなった、と嘆く。確かに、ドラえもんや、マリオであったり、そこに安倍晋三が乗っかってきては嘆きたくなる気持ちも解る。だが、土管から安倍晋三が出てきた後に、描いたセレモニーは日本のテクノロジーを語るものではなかったのか。どうして、そこに一切触れていないのかわからないし、何にせよ、冒頭の君が代の演奏は、スタジアム全体に脱帽と起立を求めつつも、日の丸がフィールドに描かれる、というある意味衝撃的なものだった。何か、自分に都合よく物事を切り取っていないか。

一方で、インターネットが「早くなって」しまったのは事実だ。インスタンスな書き手と、それを受け取って潮目を読みつつ、石を投げ続ける受け手。そんな輩を撲滅する必要があるのは事実だと思う。

著者のオンラインサロンでこの本を受けてのその後が「補完」されることを期待したいと思う。