関東大震災から100年

関東大震災からちょうど100年なんだそうだ。

東日本大震災で罹災経験はあるんだけど、何か、特別な準備をしているか、というと全く何もしていない。何か特別な準備が必要なことは理解しているけど、結局何もしていない。

100年間、語り継がれてきた大震災は、防災の日として、今に繋がっているんだけど、これもアップデートされていくべきなのではないか、と少し考えたりもする。

震災からの復興

明日は3月11日なのだけど、震災からの復興をテーマにした遅いインターネット会議。ラジオっぽく聞いていたのだけど、結局この10年でこのクニは何も変わらなかったのではないか、と感じる。

安倍晋三の休校要請を後先考えずに思いつきで出した、という批判があるのだけど、このクニに足りないのは結局「責任を取ることのできる責任者」ではないのか、と思う。安倍晋三が本当に責任を取るかどうかはそのうちわかると思うのだけど、誰かが決断して、誰かが実行策を考えて、実際の統治を行っていかないといけない。責任を取りたくない責任者達が責任を取りたくないが故に何も決断しない。この10年、そんなのばっかりだったのじゃないか。

後先考えている暇があったら、とりあえずやってみなはれ、という気風がもう少し広まっていくといいな、と思う。これは結局「失敗を許容する社会」を広めよう、ということになってしまうのかもしれないけれど。

8年経ったわけですが

東日本大震災から8年経ったわけなんですが、被災した感覚は当時あったものの、実害がそんなになかったせいか、今ひとつ実感がわかない。

この日が近づくといろいろな所でドキュメンタリーと名を借りて、当時の映像を流すのだけど、もういい加減止めても良いんじゃないだろうか。前を向いて、しっかり歩いていくためには未来を見据えた「なにか」を考えるのも必要だと思う。