鈍感力

鈍感力を養う機関、それが今の日本の義務教育の実態である。

Xでも、少し、書いたのだけれど、鈍感力を養うことが「出来なかった」、あるいは「出来ない」子供達というのは、往々にして、何か「尖った」子供が多くて、そういう子供達が、N高のような外部の(本流ではない)教育機関に流れている、という話題を耳にしたことがある。だけど、全部が全部、そうではなくて、中には「尖っていない」「鈍感力を養えない」子供達がいるのもまた事実だ。僕自身が、多分、そういう系統だった。

鈍感力を養うことが苦手で、でも、何も輝くようなものを持っていない、ごくごく「一般の」人間は、この国では見捨てられるのが現状だ。悲しくてもそれは、現実なので受け入れるしかない。

多分、この国の教育体制は、そう、大きく変革することは無いように思える。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と肩で風をきって歩いていた時代はとっくの昔に去ったのだけれど、それでも、古式ゆかしく、本来の(間違っていてもだ)やり方を守り通すのがこの国のやりざまだからだ。何者にもなれなかったような人間は、慎ましく、消えていくしかない。それが現実社会。

日経テレ東大学の終焉

人生もいつかは終わるのだが、コンテンツもいつかは終わる。日経テレ東大学もまた、然り。ただ、今回の終わらせ方はなんだかなあ、という感じが正直している。文春の報道が全てではないのだろうが、どうも、このクニは「変化」を好まない傾向にある。

後藤達也氏が云うところの、「日経のエスタブリッシュメント」達は、結局、日経テレ東大学を終了させる、という選択をして、変化を「拒んだ」のではないかと思う。mixiや、facebook、twitterの潮流から、youtubeや、Tiktokへの移行を上手く乗り切れなかった日経にとっては、日経テレ東大学は、「それなりの」コンテンツだったと思うのだが、それを切り捨てて、元の保守本流、エスタブリッシュメントを守ることがどうやら、彼等の正義のようだ。

結局、このクニは「外圧」でしか、変革出来ないのかもしれない。

マイルドヤンキーとは

マイルドヤンキーというフレーズ、単語を文脈の中で目にする機会が多くなったような気がしていて、改めて意味を調べてみると、なるほどねえ、と思った。

多分だけど、90年代後半、「失われた30年」が始まった辺りを契機にして、上昇志向とか、意識高い系が「無駄」に思えてしまった成れの果てなのかもしれないな、と浅い分析では思えてしまう。かく言う自分も、ひょっとしたら、その一部なのかもしれない。

眉をひそめて、成人式の馬鹿騒ぎを眺めていたり、回転寿司屋のSNS拡散を眺めていたりするのだけど、そういうのと紙一重の世界に我々は日常を生きている。せいぜいが、明後日の事を考えるのに精一杯で、その反動として、安住の地を、「地元」や「仲間」に求めているのかもしれないな、とも思う。

2022年振り返り

今年も残すところ、あと数時間だが、1年前の投稿を振り返ってみたところ、絶望的なことしか書いていなかった。結局、体調が良くないと、思考能力さえ減退し、ろくな文章すら書けないのだ。

では、2022年は多少はましだったのか、というと、そうでもないのだが、11月半ば位から、多少は体調が良くなっているような感じはしている。縁切り榎にストレスとの縁を切りたいと願をかけたのは、たしか今年だったと思うが、ストレスと縁が切れたか、というとそうではなくて、相変わらずストレスを感じることは続いている。ただ、思い込み度合いは随分浅くなった。結局は考え方次第というところだろうか。

相変わらず「良い出逢い」は今年もなかった。結婚願望がないわけではないし、そういう活動をしたいとも思ってはいるのだが、そこにたどり着くだけのパワーがなかった。

今年の収穫は、おそらく、LAST SHIPシリーズをコンプリート出来たこと。パンデミックがこれだけ広まったときに、Season1とSeason2の記憶を呼び起こしてはいたのだが、もっと早く観ておくべきだったと思う。ウィルス騒動が呼び起こしたであろう、人間の「善い面」と「醜い面」は、多分、現実世界での思考に置き換え可能だったはずだ。

2023年へ向けての抱負は今のところはない。モチベーションの問題だが、唯一あるとすれば、戸隠神社を訪問したいという欲望が叶えばいいかな、という程度かもしれない。

自衛隊のパワハラ対応

陸上自衛隊のパワハラ騒動が少し前から話題だったのですが、ひとまずは決着がついたようです。

個人的には、パワハラをするような輩は、それ相応の処罰を受けるべきだと思うので、今回の件は妥当だと思う。性暴力、という扱いなら、むしろ告訴にまで持っていくべきで、免職で済んでいるのはむしろ甘いくらいではないか。

海上自衛隊でも、パワハラで降格処分、という報道もあったので、パワハラが世の中から撲滅されていく方向になって欲しいと思う。

そう言えば、落語協会のパワハラ騒動はその後、どうなったんだろうか。

貯金の進捗

moneyforwardで1年前のメインバンクの残高を見ると3万ちょいだったのに戦慄が走る。今は40万手前。つまりは貯金できている、ということだ。

よくよく考えると、この1年、本当に何も買っていない気がする。鬱の症状が酷くて、意欲が減退傾向だった時期が半年くらいあったせいもあるかもしれないが。総額資産は順調に行けば年内には1千万を超えそうだが、為替相場の具合は割り引いてみないといけないな、とは思ってる。

良いご縁

金の切れ目が縁の切れ目、というのは昔から言われるが、最近、良い出会い、良いご縁というのが無くなったような気がしている。

テレビを見なくなって、SNSの実名発信の投稿をしなくなって、自分から取り下げている部分はもちろんあるのだが、その辺りの理由もあるのだろうか。数年前までは一年に数回あったような「良いご縁」というのが無くなってしまったような印象がある。実名発信はリスクのほうが大きいと感じて取りやめているのだけれど、こういう形でなにか不利益のようなものを感じるようになってしまうと、再開するべき時なのかもしれない。

戦いとは常に

戦いとは常に、二手三手、先を読んで行うものだ

シャア・アズナブル

戦いに限らずだが、物事を判断する際には、二手三手、先を読むのは常道であると思うのだが、どうやら、それが当たり前ではない人種がいるらしいということに最近改めて気が付いた。

別にそいつがそのせいで自滅するだけなら放置しておけば良い話なのだが、自滅の被害がこっちにも降り掛かってくるとなると若干話は違ってくる。「先読み」をする習慣、癖がないやつに「何故、どうして、二手三手先を読む必要があるのか」というのを教えるのは非常に骨が折れる。目の前の表面的な出来事でしか判断してこなかった奴にとっては、常識を覆すのと同じ位のインパクトがあるからだ。

最近、こういう奴をどのように扱うのが正解なのか、ということに非常に悩んでいる。

家計管理

家計管理、というか資産管理は数年前からmoney forwardの有料オプションに一任している感じがあるのですが、法改正の影響で、定期預金の残高を読み取ってくれないのがネック。でもまあ、定期預金と、現物株式、海外株式、確定拠出年金とかもろもろあわせれば、ようやく1千万に届くレベルが視野に入ってきた。

去年は、なんとなく物欲がなくなった印象があったのだけれど、今年は少し緩めて、使うところは使っていこうかな、とは思っている。

2021年振り返り

昨年の訳の解らない人事異動から始まった流転は、結局、落ち着くところに落ち着いたような気がする。

このまま生きて行きたいという気は微塵もなくて、すきがあれば逃げ出そうとは思ってはいるものの、色々なことをサボってきたつけがまわって、未だに逃げ出すことは出来ていない。結局、学んだことは、どんなに「体制」を作り上げたとしても崩れる時は一瞬であって、それは自分でも予期出来ない、ということだろうか。今だって、自分がいないと「回らない」体制は作り上げることに成功はしたものの、この「王国」も結局のところは誰に突き崩されるかどうか、わかったものではないのだから。

そういうことを念頭において、今後の10年くらいは生きていく必要があるのかもしれないな、とは思う。