正月ではないと出来ないこと、というのがあると思っていて、初詣もその一つなのだが、東京大神宮が1時間待ち、というのをtwitterで見て、今日は諦めた。どうにも、人混みに行きたくない、というのが一番の理由。コロナとか関係なしで、人混みに行くのがどうも苦手。沢山の人が集まっているところに行きたいとは思えないというのが先に来てしまう。
朝8時位ならば空いているという情報も同時にキャッチしたので、明日の朝、起きることが出来れば、行ってみようかとは思う。
この国では口に出来ないような話。
正月ではないと出来ないこと、というのがあると思っていて、初詣もその一つなのだが、東京大神宮が1時間待ち、というのをtwitterで見て、今日は諦めた。どうにも、人混みに行きたくない、というのが一番の理由。コロナとか関係なしで、人混みに行くのがどうも苦手。沢山の人が集まっているところに行きたいとは思えないというのが先に来てしまう。
朝8時位ならば空いているという情報も同時にキャッチしたので、明日の朝、起きることが出来れば、行ってみようかとは思う。
比企能員を追い落として、北条義時が「ダークサイド」に堕ちた、という表現を見かけることがあるのだが、「堕ちた」という表現が正しいかどうかはやっぱり物の見方によるんだろうな、と改めて思った。
アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに堕ちたのも、彼なりの「正義」があったからこそ、だし、北条義時にもそれなりの正義がある。まあ、むしろ、今回の場合は比企能員が既にダークサイドに堕ちていた、と表現するほうが物語としては適切なのかもしれない。
だから、適切な表現としては、やはり「覚醒」なんだろうな、と思う。
第24回、ということで折り返し地点に差し掛かってきた。年表通りでも、予告編でも、頼朝の死を匂わせる感じも出てきた。
今回は退場者が2人。範頼の退場のシーンは物凄い「哀しみ」が伝わって来る良いシーンだった。心が「折れる」瞬間を如実に表現出来ていて、信じていたもの、信じていた人に裏切られた「悲しさ」が巧く出ていたと思う。
人間ってさ、「諦め」が入った瞬間、いろいろなものが「冷淡」になるよね。そんな感じ。ついていけなくなる、とでも言うのか。
諦めの境地、なんて言葉がひょっとしたらぴったり来るのかもしれないな、とも思うのだけど。なんか、もう、モチベーションとか、やる気とか、高めようとする傍から全否定を喰らうので、もう、諦めの境地に達してしまっている。
それでもやらなくてはいけないこと、というのはあるもので、それはそれできちんとこなしてはいるつもりなのだけど、それでも、相応の対価、相応の感謝、なんてものがついてこないのであれば、人は人としてモチベーションなんか、ダダ下がりになるものなのだな、と思ってしまっている今日この頃。
どんな間柄、関係性でもそうだと思うのだけど、コミュニケーションを取ることを諦めてしまうと、全てがなんだかどうでも良くなってしまい、モチベーションもダダ下がりになってしまう、という話をしていて、まさに自分がいまそんな感じに陥っているなあ、という気がしている。
会社の組織改編があって、なんだか色々変わったんだけど、コミュニケーションが皆無なので、もう、色々どうでもいいかな、と思ってる。自分が最低限守りたい、と思っているポリシーだけは死守したいとは思うけどね。
上司や同僚のダメっぷりがどうにも目について、すっかりやる気を失ってしまった。昔はもっと巧く出来ていたような気がするのだけど、どうしても巧くできない。立ち回りとか、根回しとか、もっと巧く出来ていたはずなのに、何だかわからないけど、もういいかな、と諦めてしまう。これが、つまり「やる気を失った」とか、「モチベーションがない」という状態なんだろうか。
やる気がでない。さっぱりでない。何事においても無気力で、「諦め」というワードがしっくり来ると思う。何か楽しいことないかな、とは微かに思うのだけど、それも結局諦めてしまう。世の中の人は何を生きがいにして生きているのか、と思う日々。何かしら入れ込む事があれば多少違うのかな、と最近はスマホのゲームに入れ込んではいるけれど、それも今ひとつ。年末になったら信onに復帰して、そのまま拡張パックを買いそうな予感がしている。
確かに人生詰んだし、何のために生きているかわからない。
人生詰んじゃったからこれからのことを諦めたら何のために生きているかわからなくなった
結婚もほぼ諦めてる。色々なものを諦めた。でも、その中でも、「もっと上手くやれる。」って考えている自分がいるのがもどかしい。もう、面倒くさいこと考えるのを止めて、シンプルに我儘に生きたいな、と何回思っただろうか。