どうする家康#13「家康、都へゆく」

麒麟がくる、の明智光秀と足利義昭の描き方がまだ視聴者の心に残っている中でのこの描き方は「無し」だと思う。

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所詮は、ドラマなのでどうでも良いのかもしれないが、良くも悪くも連続性というものがあって、長谷川博己の明智光秀との「落差」はあまりに大きすぎた。かたや主役で、かたや脇役なのかもしれないが。

次回、金ヶ崎撤退戦はある意味で明智光秀が主役なのだが、そこの描写はほぼなくて、おそらくはお市が遣わした侍女の「阿月」と、その持ってきたメッセージの解読が本流なんだろう。

【評】レジェンド&バタフライ

東映創立70周年記念作品、ということで、それなりのものを期待して公開2日目に足を運んだが、「悪くはない」という印象。

そもそも論なんだけど、濃姫の輿入れから、本能寺の変までを描くにしては、3時間は短すぎる。信長の生涯を知って、どんな戦いがあって、どんな事が起こったのかを知識として持っていないと楽しめない印象があった。そういう意味でいうと、近年で「麒麟がくる」という格好のテキストは存在していたのだけど、皆が皆、観ているわけではないだろうし、場面転換の説明や解説も薄っぺらい感じだったので、ついていくのに苦労があった。むしろ、信長と濃姫の「会話劇」として楽しむのが正解なんだろうと思う。

そういう意味で言うと、綾瀬はるかは、木村拓哉を完全に「喰って」いて、綾瀬はるかの映画、という印象だった。

変に尾張訛りを差し込まなくてもいいかな、とは思うけど、それはそれとして。

ラストのシーンは、ハッピーエンディングで「切って」良かったと思うが、それも賛否両論かな。本能寺の変の殺陣が、適当すぎた感じがあるので、なんだかなあ、という気も少しある。映画がNHKの大河ドラマよりも駄目なのは如何なものかと。

それにしても、木村拓哉は多分、時代劇向いてないと思う。綾瀬はるかという大河主演女優を相手にするのだから、もう少し適当な人材いなかったかな。

鎌倉殿の13人#4「矢のゆくえ」

吾妻鏡に描かれた「最初の矢」が放たれるまでの一部始終。

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吾妻鏡はそんなに気にしていなかったのだけれど、麒麟がくるで、明智光秀が目を通していた書物の一つではなかったか、という気がする。成立をみれば、その正当性に思うところはあるかもしれないが、光秀の時代に歴史書として扱われていたとするのであれば、今回、脚本の底本となってもおかしくはない印象ではある。

麒麟がくる#44「本能寺の変」

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最後、菊丸にメッセージを託す、までは読めたのだが、終わり方までは読めなかった。そうか、主人公だから殺さないで終わる、という選択肢があったな、とは今になって思う。コロナウィルスに踊らされて、予定が狂いに狂った1年半だったが、それなりに綺麗に整ったのではないのかな、とは思う。

本能寺の変、本編の尺が短かった気がするのだけど、もう少し整理整頓をつけていれば冒頭の四国云々とか、将軍を、という件はいらなかったような感じはあるので、この辺は脚本家の苦肉の策なのか、私自身のエゴなのかはちょっとわからない。本能寺の変そのものを1時間でしっかり描くと、最後はもっと綺麗だったかもしれない。

麒麟がくる#43「闇に光る樹」

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タイトルがウルトラセブンのオマージュという話は開始直後からあったと思うのだけど、今回もそう。

織田信長が安土を建設し、家康を饗応していた頃は、まさに絶頂を極めていた頃なんだが、一方でそれを支えている重臣達の心情がどうだったのか、と思うと今回の話はよく描ききったような感じはする。ただ、佐久間信盛は、なんとなく最期まで影が薄かった感じはするけど。

麒麟がくる#42「離れゆく心」

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作中の家康と光秀の面会は完全な作者の創作だとは思うのだが、これも本能寺の変への伏線の一つだろうか。羽柴秀吉の黒い部分を浮き立たせて、主人公である光秀を対比でよく見せようというのはわかる。だが、少々伏線が多くなりすぎていて、綺麗にまとめあがるのか、という部分は非常に不安になってきた1回。

麒麟がくる#41「月にのぼる者」

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本能寺の変の主犯説は、歴史家の間でも、いろいろと考えが論じられてきたところではあると思うのだけど、腐敗して滅んだ足利幕府に成り代わった織田信長が、力と引き換えに様々な反感を買っていたであろうことは想像に難くない。

なれど、今回のドラマでは少々伏線を張りすぎではなかろうか、という気がする。この後の展開で安土に徳川家康が来る件があると思うのだけど、決定的な一打になるのは果たしてどれなんだろうか。

麒麟がくる#40「松永久秀の平蜘蛛」

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平蜘蛛、という茶器も戦国好きの間では伝説として語り継がれる茶器なのだけれど、今回の描き方はどうも、中途半端ではないのかな、と感じた。

もろもろの事情で、ストーリー、物語を省かないといけないのはわかる。そこは脚本家や演出の苦労はわかる。だけど、伝説を踏まえた上でもう少し丁寧に何かを描き出せたはず、と思ってしまうのは単なる視聴者の愚問だろうか。

「麒麟がくる」という初回から語り継がれるメッセージ性のある言葉、フレーズがあるのだから、その辺と絡めても良かったのではないかと思うのだが。

麒麟がくる#39「本願寺を叩け」

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煕子の最期の描き方としては大変良かったのではないか、と思うのだけれど、信長は鬼神の如き様を増していき、なんだか、ドラマとしては良い方向性に感じる一話。本願寺というのは当時の仏教勢力の一大勢力なんだけど、所詮は坊主、などというのが台詞の端々に観て感じ取れて、それも良い。

麒麟がくる#38「丹波攻略命令」

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三淵が死に、そして斎藤利三がようやくの登場。これで本能寺の変における役者は揃った感がある。斎藤利三は、もう少しメジャーなイメージがあったのだけれど、よくよく調べ直してみると、そうでもないのだな、という感じ。

それにしても今作はオマージュが多いね。各エピソードのタイトル然り。信長と光秀の対峙は、道三と光秀の対峙を思い起こさせる。