麒麟がくる、の明智光秀と足利義昭の描き方がまだ視聴者の心に残っている中でのこの描き方は「無し」だと思う。
所詮は、ドラマなのでどうでも良いのかもしれないが、良くも悪くも連続性というものがあって、長谷川博己の明智光秀との「落差」はあまりに大きすぎた。かたや主役で、かたや脇役なのかもしれないが。
次回、金ヶ崎撤退戦はある意味で明智光秀が主役なのだが、そこの描写はほぼなくて、おそらくはお市が遣わした侍女の「阿月」と、その持ってきたメッセージの解読が本流なんだろう。
この国では口に出来ないような話。
麒麟がくる、の明智光秀と足利義昭の描き方がまだ視聴者の心に残っている中でのこの描き方は「無し」だと思う。
所詮は、ドラマなのでどうでも良いのかもしれないが、良くも悪くも連続性というものがあって、長谷川博己の明智光秀との「落差」はあまりに大きすぎた。かたや主役で、かたや脇役なのかもしれないが。
次回、金ヶ崎撤退戦はある意味で明智光秀が主役なのだが、そこの描写はほぼなくて、おそらくはお市が遣わした侍女の「阿月」と、その持ってきたメッセージの解読が本流なんだろう。
武田信玄の上洛を契機に足利義昭は織田信長と訣別した、というのだけど、改めて思うと、あの時代の通信網、あの時代の関係性で武田信玄がどれだけ足利義昭に情報を出していたか、というのは甚だ疑問の余地は多いような気がする。
朝倉義景の撤退を嘆くシーンが武田信玄の大河ドラマかなにかであったような気がするが、双方向コミュニケーションが今以上に不利な感じは想像もできないんでしょうね。
それにしても、剣術の稽古のシーン。やっぱり、何事も師匠が大切なんだな、と思わせる。どんな立場であれ、どんな職位であれ。
個人的な主観かもしれないが、足利義昭という存在をしっかり描ききったのは、今回が初じゃないだろうか、とも思う。もちろん、時代劇が衰退していて、本数もない中、いわゆる三英傑とその重臣達に光があたってしまえば、足利義昭なんていう存在は端役には過ぎなかったのだけれど。
12月に入って、大河ドラマは越年が決定してはいるものの、本能寺までの過程にはまだまだ多くのイベントが多い。結構駆け足になりそうな予感がしている。