明日から

すでに人間不信極まりないところまで来ているので、何が正しくて、何が正しくないのか。さっぱりわからない状態である。本当に心身に悪い。仕事が楽しめなくなってどれくらい経つだろうか。面白いと思えなくなってどれくらい経つだろうか。いっそのこと、何もかもを投げ棄ててしまえば楽になるのに、と考えたことはおそらく何万回とあるに違いない。

明日からはシステム担当という触れ込みではあるが、ゴリゴリの営業専門会社。後ろでは怒号が飛び交っている。そんなところで静かにプログラミングなんてできっこない、そんな風に思ってしまうのだけど、間違っているだろうか。

人間不信

人事異動に翻弄されて、すっかり人間不信になってしまった。所詮、人間なんていうものは時分の思う正義を感じてくれないものなのかもしれない。人類皆に通用する、正義のようなものすら、ひょっとしたらないのかもしれない。仁義とか、義理とか、そういうものを大切にしてきたつもりなのだけれど、ひょっとしたら、そんなものすらこの世にはないのかもしれないと思うと、何だか虚無感を感じてしまう。

シン・ウルトラマン

https://youtu.be/AnYP1yzSe5E

シン・ウルトラマンの特報出たけどさ。「巨大人形生物」っていう描写がすごい、と思ったのは私だけですかね。やっぱり、ゴジラと同じで現代で再解釈しなおすとこういう描写になるんだろうか。科特隊あってのウルトラマンだし、それっぽいカットもあったから安心はしているのだけど。

麒麟がくる#44「本能寺の変」

https://twitter.com/nhk_kirin/status/1358249158356918274

最後、菊丸にメッセージを託す、までは読めたのだが、終わり方までは読めなかった。そうか、主人公だから殺さないで終わる、という選択肢があったな、とは今になって思う。コロナウィルスに踊らされて、予定が狂いに狂った1年半だったが、それなりに綺麗に整ったのではないのかな、とは思う。

本能寺の変、本編の尺が短かった気がするのだけど、もう少し整理整頓をつけていれば冒頭の四国云々とか、将軍を、という件はいらなかったような感じはあるので、この辺は脚本家の苦肉の策なのか、私自身のエゴなのかはちょっとわからない。本能寺の変そのものを1時間でしっかり描くと、最後はもっと綺麗だったかもしれない。

麒麟がくる#43「闇に光る樹」

https://twitter.com/nhk_kirin/status/1355712464877400064

タイトルがウルトラセブンのオマージュという話は開始直後からあったと思うのだけど、今回もそう。

織田信長が安土を建設し、家康を饗応していた頃は、まさに絶頂を極めていた頃なんだが、一方でそれを支えている重臣達の心情がどうだったのか、と思うと今回の話はよく描ききったような感じはする。ただ、佐久間信盛は、なんとなく最期まで影が薄かった感じはするけど。

麒麟がくる#42「離れゆく心」

https://twitter.com/nhk_kirin/status/1353175749075865608

作中の家康と光秀の面会は完全な作者の創作だとは思うのだが、これも本能寺の変への伏線の一つだろうか。羽柴秀吉の黒い部分を浮き立たせて、主人公である光秀を対比でよく見せようというのはわかる。だが、少々伏線が多くなりすぎていて、綺麗にまとめあがるのか、という部分は非常に不安になってきた1回。

強制力がないとだめだと思う

緊急事態宣言の1ヶ月延長が決まった。

思うに、延長は良いとしても、やはり強制力を伴わなければ、今回のような「緊急事態」には所詮は対処出来ないのではないか。日本人の「民度」は確実に緩んできていると思う。twitter界隈を見ていてもそうだし、各種SNSを見ていてもそうだ。

一昔前までは、当たり前に「美しい」とされていたことが、声の大きいもの、やったもの勝ちになる社会に変容してしまったのだ。

このクニは独裁者を否定し、強大な権力を集中させることを否定し、自衛隊を軍隊ではないと言い、建前だけで長いこと乗り切ってきた。そろそろ、社会を変容させても良いのではないか。価値観を変容させても良いのではないだろうか。