現実逃避としての講談

6月に入って、世の中は徐々に通常に戻りつつあるのだけれど、認めたくもない現実が嫌がおうにも見えてきてしまって。モチベーションはすっかり下がっている。渋谷区は路上喫煙禁止だし、会社は密を避ける、とかで喫煙所を閉鎖してしまった。眠気を覚ます術すらなく、上司は相変わらずアホみたいな事しか言ってこないので、ろくに口も聞かずにダンマリを決め込んでいるので、なんか、日々現実逃避に走りたくなる感じ。

Youtubeに中京テレビがあげていた太田上田の映像を観て、神田伯山という講談師が真打ちに昇進したことを知り、最近は彼の映像ばかり追いかけている。

講談という世界は知ってはいたけれど、神田紅が若い頃の話で、すっかり「女のもの」というイメージがあったのだけれど、やはり、知らない世界はまだまだ、あるものだな、と思っている。

麒麟がくる#21「決戦!桶狭間」

一部で「神回」などと持て囃されてはいるのだが、どうにも、義元のラストシーンの殺陣を観る限りそうは思えない。なんだ、あの大飛翔は。

https://twitter.com/nhk_kirin/status/1269464012539953153

個人的好みかもしれないが、随所にはきちんとした殺陣はついていたので、あのままの流れでしっかり「義元討ち取ったりー」とやって欲しかった。ゲームや、アニメ的な演出は大河ドラマには不要だと思う。

それにしても、十兵衛に残された徒労感もアレなんだが、元康の自立へ向けての伏線の張り方は、それはそれで良かったとは思う。

麒麟がくる#20「家康への文」

桶狭間の前日譚と、光秀の心中の葛藤について、なんですけどね。

https://twitter.com/nhk_kirin/status/1266927614901448704

藤吉郎と信長の出会いがまだ描かれていないことに違和感を覚える。言い方を換えると、ステレオタイプな秀吉の成功物語は、桶狭間へ飛び出していく信長を、その後から猛ダッシュで追いかけていくシーンから始まっているわけなので、まあ、女性の立膝といい、良くも悪くも歴史館を変えてくれる今回のドラマなのかもしれない。

記憶のある桶狭間の中で、ベストの今川義元は、「武田信玄」における中村勘九郎だったのだけど、今回のように「貴族然」していない、義元のほうが、東海地方の大大名という感じがでていて、いいな、とも思いますね。

信用できない医者との付き合い方

今の心療内科にかかって10年以上になるし、それ以前のものを考えると15年はうつ病とつきあっている事にはなるのだけれど、いまいち、こう、信用できない感じがしている。医師によってポリシーがあるのはわかるし、歯医者のように、「腕」や「スキル」が出るような分野でもない。

かといって、簡単に寛解と呼ばれるような状態にもっていける病でもないことは充分理解はしているのだけど、なんか、こう、信用できなくて、ダラダラと過ごし続けている。睡眠導入剤は飲まないとすんなり眠れないのは事実なので仕方がないのだけど、このまま付き合うしかないんだろうか。

パワハラ防止法が施行というが。

パワハラ防止法が施行された、というのだけれど。

結局、空気を読め、とか、同調圧力的な「ザ・ジャパニーズ」カルチャーが無くならない限りはこういうパワハラだの、モラハラだの、というのは撲滅できないのだと思っている。昨今はSNSでの罵詈雑言が話題になったけれど、同じことは30年も昔の日本社会に存在していたわけなんだから。

なんでもかんでもアメリカナイズしてしまって、寛容さが失われたことを嘆くシーンがあるが、こういうところはもっとビジネスライクに訴訟社会になってしまっても良いのではないかと個人的には思っている。

麒麟がくる#19「信長を暗殺せよ」

信長の初上洛、というよりは、斎藤義龍をナレ死させて、将軍家の無力さを描いたような回。

https://twitter.com/nhk_kirin/status/1264390861107781632

すっかり忘れていたけど、竹中半兵衛が稲葉山を乗っ取ったのは義龍ではなく龍興の時だったね。なんだか、こういう「繋ぎ」の描写が多くて、多くの大河ドラマファンが観たいような名シーンがどれほど描かれるのか、少し不安になる。

この調子だと、足利義輝もナレ死で済まされるのではないだろうか。