マイルドヤンキーとは

マイルドヤンキーというフレーズ、単語を文脈の中で目にする機会が多くなったような気がしていて、改めて意味を調べてみると、なるほどねえ、と思った。

多分だけど、90年代後半、「失われた30年」が始まった辺りを契機にして、上昇志向とか、意識高い系が「無駄」に思えてしまった成れの果てなのかもしれないな、と浅い分析では思えてしまう。かく言う自分も、ひょっとしたら、その一部なのかもしれない。

眉をひそめて、成人式の馬鹿騒ぎを眺めていたり、回転寿司屋のSNS拡散を眺めていたりするのだけど、そういうのと紙一重の世界に我々は日常を生きている。せいぜいが、明後日の事を考えるのに精一杯で、その反動として、安住の地を、「地元」や「仲間」に求めているのかもしれないな、とも思う。

結局、何も出来ていない。

結局、何も出来ていないのではないか、という気がしている。しなくてはいけないこと。読まなくてはいけない本、書かなくてはいけないコード。たくさんのTODOリストはあるのだが、全くといって良いほどこなせていない。

「意識高い系」というパワーワードが流行った時期が数年前にあったのだけど、何か間違っているな、と思い込んでしまって、意識高くあることを捨てた。それ以来だ。何かにつけてモチベーションを失ってしまったのは。