2023年を振り返り

今年は正直、何も成し遂げていない感じがあるのだけれど、チョコザップだけは、1年間通い続けた。

徒歩5分。習慣化、って大切だな、って思う。コナミスポーツに通っていたときは、片道20分くらいだったので、やはり習慣化出来ていなかったんだろうな、と思う。問題は、この習慣がいつまで続くのか、というところかもしれないが。

どうする家康#48「神の君へ」

https://twitter.com/nhk_ieyasu/status/1736264964250189939

最後15分の「鯉のエピソード」は要らなかったんじゃないかと思うのだが、どうだろうか。このエピソードを挿し込む暇があるのであれば、家光と春日局のエピソードを挿し込んでほしかったと思うし、家康の最期に相応しい描き方があったのではないかと思ってしまう。

瀬名と信康の自刃が原点かもしれないが、それに余りにも引っ張られすぎていて、なにか描くべきエピソードを忘れているような感じがした。

総じて、なんとなく、中途半端な出来で、最後に小栗旬を出してくる理由もなんだかエンタメ的に寄りすぎている。もう少し、大河ドラマとしての矜持を貫いて欲しかった。

挫折しかないかも

1日というのは、物事の節目で、今年何度目かのリセットを考えていたのだけど、結局何もしないままで終わろうとしている。

もう、今年は無理かな、と思いつつ、来月からアレをやろうとか、これをしてみようとか、色々な思いを巡らせていたのだけど、結局何も始まらない。

今年は感情の起伏が大きすぎて、波があった一年だった。色々なものを見つけたけれど、何か、何もしないで有耶無耶にして過ごしてしまった一年のような気がする。もう少し、何か出来たのではないか、とか。もうちょっとやりようがあったのではないか、と今になって少し振り返って思ったりもする。

どうする家康#43「関ヶ原の戦い」

https://twitter.com/nhk_ieyasu/status/1723626687303201127

関ヶ原の戦い本編、というよりは、話がサイド、サイドに飛んで、物語としてはあまり見応えがよろしくなかった印象。

戦後処理も画面上のナレーションで済ませてしまって、本多忠勝の名シーン、「殿を相手に一戦仕る」が聞きたかったのだが、それも無さそうな感じがする。

ただ、本多忠勝が名槍「蜻蛉切」の名前を出したシーンは良かった。アドリブだったようだが。

【評】ゴジラ-1.0

「よく出来た」映画だけに、色々と考えさせられた。「シン・ゴジラ」があれだけ興行的に大成功を収めていた状態で「次の」ゴジラを制作することは相当なプレッシャーであったことは想像に難くないが、結果として、特撮映画、怪獣映画ではなく、日本映画として良い形に仕上がったのではないかと思う。

ゴジラは、戦争の象徴、大震災の象徴として描かれてくることが多い作品だが、今回もまた、それは「戦争の」象徴であると思う。

主人公である敷島は、特攻の生き残りで、自らの機体の故障を偽り、特攻から「逃げた」ことで苦悩する日々を送ることになる。

誰かが貧乏くじを引かなきゃなんねえんだよ!

ゴジラ-1.0

ともすれば、「貧乏くじを引くこと」を美化してきた、この国の体質に、この映画は、徹底的に否定的なイメージを植え付けようとしていると感じた。特攻から「嘘をついて」生き残った敷島に、ゴジラに対して20ミリを「撃てなかった」敷島に、最期は震電から脱出して生き残る、という選択肢が用意される。

なんとなく雰囲気で、周りの「空気を読んで」、生きて行かなくてはいけないこの国の住人に、新しい選択肢を突きつけている印象が強く残った。大切なのは何か。もっとも重要視しないといけないのは何であるのか、と。

同時に気が付いたのは、安藤サクラと、浜辺美波、そして神木隆之介が演じた「風景」としての昭和が最早、「時代劇」の部類に入っているということだ。昭和が終わり、平成が終わり、令和の世に、時代劇として、この新作は強いメッセージを残したのではないか。

ゴジラ生誕70周年、おめでとうございます。