身近な人が亡くなる事

小学生の頃、母方の祖父が死んだ。小学校の低学年の頃までは、夏休み毎に母の実家がある摩周湖近くへ遊びに行くのが恒例で、祖父にも夏祭りの縁日や、パチンコ屋に連れて行ってもらったようなうっすらとした記憶はあるのだが、正直、亡くなった祖父の横で母が泣いている姿しか記憶にない。当時、小さかった僕は、多分火葬の間、従兄弟達と祖父母宅で待っていた。その程度の記憶だ。

Nが死んだのは大学院に入ってすぐだったような気がする。大学のサークルで一緒で、確か留年していた。バイクに乗る奴で、そのこと自体はどうでも良かったが、バイクの事故で死んだ、と聞いた時は正直、ばかだなあ…と思った。しかも千葉の街中でだ。葬儀の後、Nの墓参りをする、というので沼津のほうまでサークルの連中と連れ立って行った。誘われたから。それだけだった。でも、涙ながらに語るご両親の顔はいまでも憶えている。

一番身近に死を感じたのはHが亡くなったときだ。河合塾で1年間浪人生活をともにして、いろんなコトを一緒にやって、大学に入ってからも半年に1回は一緒に飲んでいた。社会人2年目の春で、GW間近の時だった。丁度1年くらいまえに、癌になった、と告白されて、半年ほど入院していたのだけど、それとなく見舞いには行っていたし、そんなに簡単に死ぬもんじゃない、と思っていた。煙草も吸わないし、酒だってそんなに飲まない。でも、最後は簡単にあっけなく亡くなった。親友の女性から亡くなった、と電話を受けた瞬間は今でも覚えているし、忘れようもない。葬儀では彼女と一緒に参列して、結婚を考えていたというHの彼女らしき女性が呆然と座っているのを遠目に観た。お父上とお母上がわざわざ声をかけてくださって、「あなたが一番の親友だと言っていた」と聞かされて、少し泣いた。あれから8年。

僕の身には色々なことがあったし、あの時、何故死んだのが彼だったのかは今でも時々考える。でも、それだけでしかない。

今回の震災で多くの人が亡くなった。生き残った人はどんなことを考えるのだろう。

産経の道丸記者のコラムを読んで。

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