日経テレ東大学の終焉

人生もいつかは終わるのだが、コンテンツもいつかは終わる。日経テレ東大学もまた、然り。ただ、今回の終わらせ方はなんだかなあ、という感じが正直している。文春の報道が全てではないのだろうが、どうも、このクニは「変化」を好まない傾向にある。

後藤達也氏が云うところの、「日経のエスタブリッシュメント」達は、結局、日経テレ東大学を終了させる、という選択をして、変化を「拒んだ」のではないかと思う。mixiや、facebook、twitterの潮流から、youtubeや、Tiktokへの移行を上手く乗り切れなかった日経にとっては、日経テレ東大学は、「それなりの」コンテンツだったと思うのだが、それを切り捨てて、元の保守本流、エスタブリッシュメントを守ることがどうやら、彼等の正義のようだ。

結局、このクニは「外圧」でしか、変革出来ないのかもしれない。

皆が華原朋美になりたかった時代

皆が華原朋美になりたかった時代、というのは確かにあったと思う。時代が変わった、と彼女は言うけれど、確かにその通りなのかもしれない。時代は変わった。

https://youtu.be/08ntjTkNVME

結局、この国は「利用する者」と「利用される者、搾取される者」で出来上がっているような気がしてならない。先のオリンピックだって、そんな構図なんではなかろうか。清貧であれ、清く正しくあれ、と古き良き時代の価値観を植え付けられた人間達が多い一方で、そんな奴を利用して、のし上がった一部の連中だけが利益を総取りするような構図。

彼女もそんな「被害者」の一人のような感じを受けた。