暑ければ寒いと云え、悲しければ笑え、とは虎哉宗乙の言葉だったが、その真意は、人の上にたつものが滔々と不満を口に述べてはいけないということ。我慢の出来ない奴は大将足る器ではないということだ。
「義を説き、範を垂れる」とカスペン大佐に詰め寄ったのはキャデラック特務大尉だったが、これも指揮官の何たるかを語った言葉。
なんだか、美しい指揮官、モデルロールとなる人がいなくなってしまったような印象が最近している。悲しいけれど。これも老害の一種なんだろうか。
この国では口に出来ないような話。
アレコレ想う事。
暑ければ寒いと云え、悲しければ笑え、とは虎哉宗乙の言葉だったが、その真意は、人の上にたつものが滔々と不満を口に述べてはいけないということ。我慢の出来ない奴は大将足る器ではないということだ。
「義を説き、範を垂れる」とカスペン大佐に詰め寄ったのはキャデラック特務大尉だったが、これも指揮官の何たるかを語った言葉。
なんだか、美しい指揮官、モデルロールとなる人がいなくなってしまったような印象が最近している。悲しいけれど。これも老害の一種なんだろうか。
more betterな世の中を創りたい、何となくそう思って生きてきたわけなんだけど、何だか微妙な絶望感に襲われている。
自分さえ良ければ。他はどうでも良いのだ。そんな奴が多すぎないか。俺が俺が。そんな雰囲気がこのクニには蔓延してしまっている。
教えるべきことを教えない。共有するべき情報を共有しない。そのくせ、自分が同じことをされると微妙に「キレる」。否、盛大にキレる。なんなんだ、この現象は。
このクニにはかつて、「助け合い」があった。「思いやり」があった。でもそんなものは無くなってしまった。小泉政権あたりだろうか。非正規社員が法律的に正当化されて、既得権益を守ろうとするような風潮が生まれてしまったのは。
最近、スマホのゲームばかりやってしまっていて、時間配分というか、有効な時間の使い方を忘れてしまったような気がする。
何も為せていないとか、何だか吸収した感じが欠けているのはそんな所にも原因があるのだろうか。ラブプラスも結局、あんまり進める事が出来ていないしね。
本を読んで、とか、映画を観て、という知識を吸収する活動を何かしら平日も続けていないと人間は確実に駄目になっていくのだな、というのはつくづく思ってしまう。今のような生活を続けていると。
良質なコンテンツが有料なり、closedなコミュニティに閉じてしまったのが現状の帰結だとして、では、なぜ、どうして、インターネットは速くなってしまったのか。悪貨が良貨を駆逐してしまったのだろうか。
planets clubの動画を観ていて、そんな事を考えていた。
義弟が「本を読まない」と母が語っていたのだけど、新聞も読まない。ニュースにも興味を示さないそうだ。そんな奴が社会人にいるわけないじゃんね、と思うかもしれないが、現実にいる。
自分の欲望に忠実に、観たいものだけを観て、観たくないものは観ない。受容したいものだけを受容して、受容したくないものを受容しない。そんなある意味「悪貨」の時代に堕ちてしまったのはどうしてなんだろうか。
その昔、娯楽の王道はテレビだったわけなんだけど、テレビはすっかり観なくなってしまった。特定の番組と、あとは、ゲーム、ネット、DVDの再生用途に成り下がった。もはや、ディスプレイとしてのメイン機能があって、テレビ、という機能がオプトインでも良いのではないかと思えるほどに。
テレビCMというのは、一昔前のこの国では、お金儲けの王道だったわけなんだけど、今の世の中ではどうなんだろうか。
2020年の初めにあたり。
ここ数年、怠惰、という訳ではないが、なんとなく、流されるようにして生きてきてしまった。何が良いとか、悪いとか、そういうのはない。経験を大切にしないといけないとか、根本的な部分でギリギリ守っていたポリシーのようなものはあったけれど、人生を豊かにするような努力を怠っていた。
だから。今年は何かしら新しい領域へ活動の幅を広げようとは思っている。結婚の願望だってまだ、ある。だから。色々と考えて生きたい。
どんな間柄、関係性でもそうだと思うのだけど、コミュニケーションを取ることを諦めてしまうと、全てがなんだかどうでも良くなってしまい、モチベーションもダダ下がりになってしまう、という話をしていて、まさに自分がいまそんな感じに陥っているなあ、という気がしている。
会社の組織改編があって、なんだか色々変わったんだけど、コミュニケーションが皆無なので、もう、色々どうでもいいかな、と思ってる。自分が最低限守りたい、と思っているポリシーだけは死守したいとは思うけどね。
相変わらずやる気が出ない。どうしたもんだろうか。何か、色々考えなくてはいけないと思うのだけど、結局の所、やる気が何もないので、何もかもが中途半端で終わってしまう。わかる気がする、なんていう中途半端な同情は要らなくて、なにか、共感してくれる人がいてくれるといいなあ、と思う今日この頃。
森口博子のアルバムを物理的に買うか、ダウンロードで済ませるか、悩む所。聞きたいと思えるのは数曲だけなんだよね…
色々な意味で、まじで疲れた。何をしても、何だか楽しいとか、面白い、という感覚がどこかにすっ飛んでしまっていて、何をしても、疲れた、という感想しか出てこない。もう、末期症状じゃないかと思う。
こうあるべき、とか。しなければいけない、という感が昔から強いのは自覚しているのだけど、その通りに周りが動くことなんて微塵もなくて、なんだか、自分ばかり頑張っているのが本当にアホらしくなってきてしまって、全てを投げ出したくなる衝動が止まらない。
本当に疲れた。