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当てが外れた件。

なんていうか。なんと語るべきか。兎にも角にも、当てが外れた件。引き継ぐなら引き継げ。引き継がないなら引き継ぐな。もう、どうでもいいや。仕事は少ないにこしたことはないのである。

HTCだと?

グーグルが携帯電話開発開始、っていうのはくるべき時がきたねえ、っていう感じ。

 Google幹部が米国時間12月12日午前に掲載したブログ記事は、同社が独自の「Google Android」搭載携帯電話をリリースする可能性を示唆している。

 Googleで製品管理担当バイスプレジデントを務めるMario Queiroz氏は記事の中で、同社が「パートナー企業の革新的なハードウェアと、Android上で動作するソフトウェアを組み合わせた」「モバイルラボ」端末を開発したと述べた。Queiroz氏によれば、Googleはすでに世界各国の同社従業員にこの端末を配布しており、彼らが新技術をテストして改善を支援できるようにしているという。

ま、なんというか、携帯の開発もGoogle流ですな、これ。

 Quieroz氏による発表の数時間前には、端末の目撃情報が寄せられた。CNET TVのアソシエイトプロデューサーであるJason Howell氏は、12月11日夜に同端末をごく短時間操作する機会を得て、「Twitter」でこのニュースを最初に伝えたが、「モバイルラボ」端末がOS「Android 2.1」を実行するHTC製の携帯電話であることを確認している。

でも、台湾製かよ!って感じなんですが。Appleと提携とかしないかねえ。駄目だろうなあ…

グーグル、独自のAndroid携帯「Nexus One」を2010年投入か

機動戦士ガンダム戦記

連邦編をクリア。シェリーが最後を前に倒れるのは何か悲しいやね。それにしても、オリジナルというか、他の作品の音声がないのは寂しいもの。ガトー少佐とか、デラーズ艦隊とか名称出すだけじゃなくて、キャラクターそのものを引っ張り出してくれよ。予算の問題かね。

遠隔監視

基本的に。基本的にですけど、僕は開発屋なので、運用向きな仕事はしたくないなあ、と思うのですが。世の中はそんなに甘いものではなく。運用向きの仕事もしなくちゃいけなかったり。それにしても、ユーザー向けの企業だと、セキュリティがいろんなところで甘いなあって思うわけです。ログインを要求するのは当然としても、自分で踏み台を設けてしまうのは最近どうなのかなあ。

鳩山 VS 鳩山

鳩山が鳩山を追求する動画が話題だそうだ。ということで。




パロディとしては面白いけどね。

混沌

なんか、混沌としてますなあ。沖縄の米軍の移設も。岡田外務大臣の態度も。事業仕分けで「2番でいいじゃない」って蓮舫が言ったのはいいけれど、国債の発行はうなぎ登りらしいし。民主党に政権が変わったのはいいのかもしれないが、政治や行政が混沌としているようじゃこの国の未来も長くはないのかもねえ。

最近の傾向

若手のSE、というか、20代のSEがどんどんうちの会社から去っているそうだ。確かに「システム屋を育てる」風土は全然これっぽっちもないのだけど、そのくせ「縁の下の力持ちは大事にする」とかメールに平気で書いてしまう開発本部長がどうにも信用できない今日このころ。システムは会社の基盤なんだから、もう少し大事にしようという風土があってもいいと思うのだけどね。

棲み分け

基本的にアプリエンジニアなんですけどね。やっぱりインフラまわりもできた方がいいのかなあ、っていう気が最近してきた。oracleとか、linuxとか、最低限の知識は持っていないと、トータルでシステムは作れないもんなあ…

ネット上での実名主義

ネットで実名を出しましょう、っていうのは勝間氏がずいぶん前から言っていることで、今さらの主張には別に驚きもしないんだけど、論争を引き起こしているようなのでちょっと考える。(ネット上でも実名で表現を

細かい全文はリンク先を読んで頂くとして、斜め読みした論争では氏の主張と論争に一部乖離があるような気がして仕方がない。曰く。

しかし、ネットがメディアとしての信頼性を高め、既存のメディアと肩を並べる存在になるには、表現者が自分の名前を開示し、責任の所在を明らかにすることが不可欠だと私は考えています。匿名コミュニケーションのままでは、いつまでもネットは周辺メディアの位置にとどまるでしょう。

うん、信頼性が欲しい、高めたい、というのなら確かにそうだ。ただ、論者の多くはこの「前提」を見落として、「別に信頼性を高める必要のない」メディアにまで氏の「実名主義」を適用している気がするのは私だけですかね。別に2ちゃんねるを実名にしろ、とは言ってないし、個人のblogまで全部実名にしなさいとは言っているようには読めない。ま、氏の書籍で別の意味で実名で書こうよ、とは言っているけど。

ただし、かつて大前研一が「ネット上訴」みたいな表現をしていたのだけど、「リアル」でなんの手段も持たないような一般人が告発できてしまうような「サブ」の装置としてのwwwの仕掛けは大事だと個人的には思うのだよな。日本という社会は未だ「建前」「本音」の社会で、アメリカのような「ディベート」が社会に根づいていないし。まあ、それが良いか悪いかっていうのはまた別の話なんですけど。

 ネットを過激な陰口の場にしないためにも、思い切って、実名主義を進めてみませんか。それによって、コミュニケーションが円滑になるほか、ビジネス面での利用の際の信頼性も高まると確信しています。

だから、そもそも論として、なぜ。「過激な陰口の場」なのかを考えるのがまず先なんじゃないの、って思うのですが。ダメかな。

正論を気持ち悪いと斬って捨てること

例の「仕分け」で道徳教本が「気持ち悪い」と斬って捨てられたそうな。

■気持ち悪い?

「心のノート」をめぐり、「気持ち悪い」と批判されたのは先月の行政刷新会議の仕分け作業。仕分け人の一人で、元東京都杉並区立和田中学校長の藤原和博氏が、中学生用の「心のノート」に出てくる「この学級に正義はあるか!」と正義をテーマにしたページを例などにし、「あるべき心の見本市ですごく気持ち悪い。副読本は多数出版されており国が強制する根拠はない」などと批判した。

これに対し、『「命の授業」の視点を授業する』(明治図書)など道徳関連の著書がある北海道雄武(おうむ)町立雄武中学校長の長野藤夫氏は「公立中学校長経験者とは思えない非論理的な言葉。日教組が道徳教育を否定・拒否しながら『あるべき心』を徹底的に破壊してきたために今、『あるべき心の見本市』が必要になったということを理解できていない。教師さえ学習指導要領だけでは具体的にどのように教えればいいのか分からないのが実情だ」と指摘する。

心のノート「気持ち悪い」に反論 正義教育

「どのように教えればいいのかわからない」なんて権威が言い切ってしまう時点で、もうこの国には価値観のパラダイムシフトが発生していて、古き良き価値観とか、道徳心とか、そんなものはどっかに飛んでいってしまった、って思うのは僕だけですかね。
日教組を批判するのは簡単だけど、批判する前にそんな「教えればいいかわからない」若い教師が大量に存在することが問題じゃないのか、と。論理感もなく、倫理観もなく、いじめをしてされて育った教師が教師を産み、まさにデフレスパイラル。負の連鎖。

だから正義の押し付け、正論を気持ち悪いなどと平気で言えてしまうのだよ。