比叡山焼討ちのその後。
神仏に仕えるような人間が俗世の欲に塗れていた是非はさておくとして、改革者としての信長が比叡山を焼討ちして、亡き者にしたというのは、ある意味革命ではあったとは思う。そこにおいて、女子供は見逃せ、と命じたものをどう、捉えるか。光秀は見逃せといい、信長は次はない、といった。
この世の中にはある種のプロトコル、ルールがあると思う。それを守れない者は滅び去るのみ。信長はそれを体現してみせただけだと思うが、どうだろうか。
この国では口に出来ないような話。
比叡山焼討ちのその後。
神仏に仕えるような人間が俗世の欲に塗れていた是非はさておくとして、改革者としての信長が比叡山を焼討ちして、亡き者にしたというのは、ある意味革命ではあったとは思う。そこにおいて、女子供は見逃せ、と命じたものをどう、捉えるか。光秀は見逃せといい、信長は次はない、といった。
この世の中にはある種のプロトコル、ルールがあると思う。それを守れない者は滅び去るのみ。信長はそれを体現してみせただけだと思うが、どうだろうか。
自衛隊の医療チームが出張ってくる時点で既に医療は崩壊しているのではないか、と誰かが言っていたと思うのだが、全くその通りではないか。通常の一般往来にある医療スタッフでは既に支えられていないのだから。
twitterや、SNSで観る限りでは、未だに「お客様は神様です」的な思考が実際の医療現場でまかり通っているようなんだけど、もう、テレビやワイドショーの二次的な情報に踊らされて、本質的な問題が何なのか、誰も見えていないのではないか、という気がしてきた。
当時の比叡山がどのようなところであったのか、というのはあちこちで語り尽くされている感があるので、それは置いておくが、今回は個人的にはあの「薬売りの少年」が何かの伏線なのではないかな、という気がしているが、どうだろうか。
落語家芝居とはいえ、小朝の天台座主の演技はそこそこ良かったとは思う。だが、なんか、あちこちに伏線が張り巡らされている感じがしてしまって、どうも、こう、本筋にスッと入っていけない感じがあった。
コロナ禍ではないのであれば、もう少し激しい焼き討ちのシーンが撮れたのだろうか。そんなことを考えてしまう。
ここ数週間ほど眠れていない。3時間ほどか。毎朝5時過ぎくらいに必ず目が覚めて、30分ほど、ぼーっとする時間がある。そこを眠り続けることが出来れば、多少はましになるはず。部署異動する前は、そこの時間帯も眠れていたはず。
やっぱり、ストレス、心理的要因が大きいのだろうな、とは思うが、なんか、もう、どうしようもない感じがしている。
史実では姉川の合戦あたりなのだけど、姉川の合戦は戦国無双における本多忠勝と徳川家康の会話が頭にインストールされてしまっていて、なんか、この鉄砲二百、というのがどのような意味を持たせたかったの、という感じがした。
筒井順慶が出てきたが、姉川の合戦が終わったということは浅井長政の出番はほぼ終わり、ということで、架空のキャラクターは良いけど、史実キャラクターを登場させるのであれば、しっかり描いて欲しいなあ、とも思う。
いわゆる、金ケ崎撤退戦。
浅井と朝倉との争いはこの後も続くのだけど、金ケ崎撤退戦は、光秀の活躍とともに、秀吉の活躍もよく語られるような気がする、今回は秀吉もしっかり噛んでいて、その辺は意識されている感じだろうか。
帰蝶再び。そして、正親町天皇の存在感、といったところか。
サイドストーリーで、光秀の家族と、三淵の計略の暗部が暴かれているのだけど、世の中の事情とはいえ、今少し、帰蝶の存在感は出せないもんですかね。話はこのまま金ケ崎の戦いへ繋がるのだけど、物語の残りの尺を考えると長篠や、武田討伐あたりの話はナレーションスキップになってしまうのだろうな。
とにかく、睡眠が足りない、と言われるのだが、帰宅して、何をするわけでもなく、過ごしていてもちっとも眠くならないので、やっぱり深夜2時くらいまで起きているのが通常モードになってしまっている。
どこかで変更して、しっかり7時間眠るようにすればよいのかもしれないが、そういう「ギアチェンジ」のようなものを何処でどのように行えば良いのか、というのが今ひとつしっくりとわからない。
そもそも夜ふかしするようになったのは、多分、最初のパワハラ・モラハラを受けた頃からなので、やっぱり、鬱屈としたなにか、モヤモヤのようなものが溜まっていると、どうしても「眠る」という気にはならないのではないかな、とは思っているのだけど。
見所は、摂津こと片岡鶴太郎の怪演ぶり、関白近衛と十兵衛との邂逅での鼓を打つシーン。そして、伊呂波太夫が今の帝と邂逅したとの自分語り。
長く続いた、あるいはおおきくなりすぎてしまった組織が崩れて内側から腐って行くのはなにも幕府に限ったことではないが、腐りっぷりが摂津の演技一つで納得感が出てしまうのはさすがの名脇役と言ったところか。
前の部署でもそうだったのだけど、自分がやっている仕事がどの程度の分量で、総量がどの程度あって、というのが逐一で把握できないと、気分が悪くて仕方がないし、ストレスが溜まる。
それは先が見えない、ゴールが見えないので辛い、という意味合いも多分にあるし、自分のパワーバランスの振り方、言ってしまえば手の抜きどころと力の入れどころが見えない、というのもあるんだと思う。
かといって、では、総量を把握していて、全貌を見えている人、把握している人がいるのか、というとそれも甚だ疑問ではあるのだけれどさ。