ソラナックスは、もう、言ってしまえば抗うつ薬なので、飲みたくはなかったのだが、結局のところ、気分の悪さには勝てないので薬に頼ってしまった。結果としては、それでOKだったのだけど、なんとなく気分の不快さ、というのは残った。
色々なものにストレスを感じていて、それが解消されない限りは何ともならんのだと思う。定年が60歳だとしても、あと15年はあるわけで、そこまでどうやって生き残っていくのか、というのは真剣に考えないといけないのかもしれない。
この国では口に出来ないような話。
ソラナックスは、もう、言ってしまえば抗うつ薬なので、飲みたくはなかったのだが、結局のところ、気分の悪さには勝てないので薬に頼ってしまった。結果としては、それでOKだったのだけど、なんとなく気分の不快さ、というのは残った。
色々なものにストレスを感じていて、それが解消されない限りは何ともならんのだと思う。定年が60歳だとしても、あと15年はあるわけで、そこまでどうやって生き残っていくのか、というのは真剣に考えないといけないのかもしれない。
先月末から週1の出勤体制になったのだけど、帰り道の東横線でほぼほぼ、気分が悪くなる。出勤したときにまともに昼飯を食べないでiQosばかり吸っているのが原因なのか、マジのストレスなのか、原因がいまいち掴めていない。
言えるのはおそらく、身体も心も在宅勤務、リモートワークに慣れきってしまったんだろうなあ、とは思う。考えてみれば、対面でのコミュニケーションでのストレスがない生活というのは快適ですからね。そりゃあ、出社すればストレスも溜まるわけですよ。
早いもので12月に入りました。
コロナウィルスのせいにするのは簡単なのかもしれないけれど、やりたいことが殆ど出来ていないまま、色々苦しんで、苦しみ続けてあっという間に12月が来てしまった感がある。
なんか、もっと、こうしておけば、とか。ああしておけば、というのはいっぱいあるのだけれど、後悔ばっかりしていても仕方がないので、前に進むしかない。少しずつでも軌道修正していかないと、本当に手遅れになりそうだし、いや、もうむしろ手遅れなのかもしれないから、脱出の算段をつけないといけないのかもしれない、と思ったりする。
money forwardを見ると、今年だけで財産がプラスで30万くらいになっているし、残高グラフも確かに右肩上がりではあるのだけど、どうにも手持ち資金が少ないのは何故かな、と考えるに、現金を手元におかない生活をしていたんだな、と思い至った。
日常の決済はほぼ、バーコード決済のauPAYか、Edyだし、現金を使うのは病院の会計くらいか。溜まっていると使いそうになるので、それも出来るだけ投資口座に振っていた1年間だった。まあ、いざ、遊ぼうとなったときは幾分取り崩しはしたのだけど、WealthNaviもプラスだし、投資信託、米国株も概ねプラス。でも、あと15年でもう1千万積み増せるかな、と考えると無理なんじゃないのか、と思ってしまう。
pixel6を購入しようかどうか非常に迷っていたのだけど、手持ちのpixel4のandroidが無事バージョンアップされたので、まだいいかな、という気がしてきた。取り敢えずはサブ機だし、「遊び」用だし、という感じ。
iPhoneも凝り固まって、面白さのようなものがなくなりつつあるような気がしているんだが、スマートフォンに関しては、iPhoneがwindowsで、androidはmacなんだよね。結局「マス」を取ったほうが勝者。いろいろな業界でもそこだけは共通のルール、という印象がしている。
腹部の痛みがどうにも止まらないので、胃カメラと大腸カメラを実施。胃カメラは5年ぶりくらいだと思うのだけど、前回と同じところにした。
事前の下剤はつらい、つらい、と聞いていたけど、そうでもなく、すんなりいけた感じ。合計で3万6千円程。大腸でポリープ3つ切除、胃にもかなり「荒れ」があった模様。
というより、所見を説明する医者の態度がなんだか適当すぎて、不信感がかなりMAXになった。お値段相当か、お値段以上の対応をして欲しいんですよね、まあ、医療に限らず、なんですけど。そういえば、看護師同士の連携もあんまり巧い感じではなかったな。
夏季休暇は、毎年京都に行くようになって10年以上になる。ふと思い立って貴船神社を訪ねるようになっても、もう10年以上。
神聖な奥宮で、大きく深呼吸をすることで、なんとなく体内の悪い空気を抜いて、新鮮な身体にしているような気になってはいるのだけど、ひょっとしたら、何も変わっていないのかもしれない。そこは、心の持ちよう一つなのかもしれませんが。
今年は中途半端な呼び出しもなくて、平穏無事に過ごせた。でも、周りを取り囲む状況はあんまり良い方向へ回転していないような気がしている。何かきっかけが欲しいところではある。
皆が華原朋美になりたかった時代、というのは確かにあったと思う。時代が変わった、と彼女は言うけれど、確かにその通りなのかもしれない。時代は変わった。
結局、この国は「利用する者」と「利用される者、搾取される者」で出来上がっているような気がしてならない。先のオリンピックだって、そんな構図なんではなかろうか。清貧であれ、清く正しくあれ、と古き良き時代の価値観を植え付けられた人間達が多い一方で、そんな奴を利用して、のし上がった一部の連中だけが利益を総取りするような構図。
彼女もそんな「被害者」の一人のような感じを受けた。
早いもので8月も、もう終わりである。未曾有のパンデミックは未だ収まることを知らず、世の中は混沌に溢れかえっているのだけれど、もう、これはこれとして、受け入れて生きていくしかないのだろうな、と思っている。
色々な「価値転換」が起きるだろう、と思っていたのだけれど、世の中から隔離された生活を送っているので一般的な世間の価値観がどうなっているのか、とんと掴めていない。この前、駅前の居酒屋ばかり入っているビルの前を通ったときにふと気がついたが、軒並み8月一杯まで一斉休業になっていた。コンビニの前で酒を呑む人間があふれかえるわけですよ。欲望の資本主義で描かれていたように、人間の欲望は「止まらない」のだから。
まあ、他人のことをとやかく言えるほど高尚な暮らしぶりを維持しているわけでもないのだけど、結局、なにか自分自身の中での「転換」を起こそうと思えば、この疫病が溢れかえる世の中へ飛び出していかないといけない、と思ってしまうと、もう、数年はこのままでも良いのかなと思ってしまう。
読んだ。
はるか昔の記憶だけど、東大入試は「正解のある問題」で、社会人生活は「正解のない問題」であり、正解のある問題で優秀な成績を取れなかった奴が、正解のない問題で優秀な成績を取れないのは当たり前である、という話があった。
要は、東大卒は何故に社会に出ても優秀なのか、という話だったのだけど、同じロジックで言えば、「正解のない問題」である恋愛が東大入試より難しいのは当たり前だな、というのが読む前の印象だったのだけど、読んでしまえば、スッと読める非常に良い本だったと思う。
自分なりの解釈や、回答、見解はあるにせよ、著者の意見もこの本で追加インストールしておけば、人生の選択肢の幅はきっと、広がるんじゃないだろうか。正解のない問題への向き合い方の唯一の方法とは、結局「自分の引き出しを増やす」しかないと思うから。