JDA-MLで苺Tの話題が相も変わらず延々と続いている。Japan=漆器というのが母国語(日本語)で考えた時はどう考えても奇異なのに、なんでそんなTopicalityを出すの?と。標準的解釈を定めよう、とか、ジャッジの質を高めよう、とか。はたから見ているとそんな議論のほうが奇異だ。
社会にでて、10年近く、SEをやってきて、その3分の2以上はいわゆる上級SEとして、ユーザーを相手にプレゼンだの、説明だのをやってきたが、ディベートをやっていて一番良かったなと思うのは、打ち合わせやプレゼンの前に話す相手が話題についてどこまで理解しているのかを自然と考えて話す癖がついてしまっていることだ。1年生や、2年生のはじめの頃のディベーターは平気で「常識」なんて単語を言い放つもんだったけど、常識なんて人によって違うわけで。もちろん欧米に行けば信仰する宗教によっても違ったりする。そんな「常識」が違う相手でも説得をして、1票を勝ち取るのがディベートなんじゃないの?違うの?