年度末ですが

年度末ですが。この3ヶ月ほど、ひーこら言いながら苦しんできたシステムが明日ベンダーからリリースされてきます。エンドユーザに出すのはまだ先なんですけどね。ベンダーの結合試験は上手くいってなくて、端末が起動しないとか、NTPサーバと通信できないとか、いろいろあるんですが。ま、4月と5月はデス・マーチという祭りの予感であります。

元通りに

昨日から信onサービスが復活しました。安否確認でログインしたけど、さすがに仮想世界にも人は少なかった。計画停電は続いているのだけど、いろいろな事が元通りに戻っていって、少しずつでも時は進んでいくのだと思います。身体は疲れているし、地震酔いは抜けないし、睡眠薬がないと眠れないけど、それもまた日常のヒトコマに収まるのだと思います。

身近な人が亡くなる事

小学生の頃、母方の祖父が死んだ。小学校の低学年の頃までは、夏休み毎に母の実家がある摩周湖近くへ遊びに行くのが恒例で、祖父にも夏祭りの縁日や、パチンコ屋に連れて行ってもらったようなうっすらとした記憶はあるのだが、正直、亡くなった祖父の横で母が泣いている姿しか記憶にない。当時、小さかった僕は、多分火葬の間、従兄弟達と祖父母宅で待っていた。その程度の記憶だ。

Nが死んだのは大学院に入ってすぐだったような気がする。大学のサークルで一緒で、確か留年していた。バイクに乗る奴で、そのこと自体はどうでも良かったが、バイクの事故で死んだ、と聞いた時は正直、ばかだなあ…と思った。しかも千葉の街中でだ。葬儀の後、Nの墓参りをする、というので沼津のほうまでサークルの連中と連れ立って行った。誘われたから。それだけだった。でも、涙ながらに語るご両親の顔はいまでも憶えている。

一番身近に死を感じたのはHが亡くなったときだ。河合塾で1年間浪人生活をともにして、いろんなコトを一緒にやって、大学に入ってからも半年に1回は一緒に飲んでいた。社会人2年目の春で、GW間近の時だった。丁度1年くらいまえに、癌になった、と告白されて、半年ほど入院していたのだけど、それとなく見舞いには行っていたし、そんなに簡単に死ぬもんじゃない、と思っていた。煙草も吸わないし、酒だってそんなに飲まない。でも、最後は簡単にあっけなく亡くなった。親友の女性から亡くなった、と電話を受けた瞬間は今でも覚えているし、忘れようもない。葬儀では彼女と一緒に参列して、結婚を考えていたというHの彼女らしき女性が呆然と座っているのを遠目に観た。お父上とお母上がわざわざ声をかけてくださって、「あなたが一番の親友だと言っていた」と聞かされて、少し泣いた。あれから8年。

僕の身には色々なことがあったし、あの時、何故死んだのが彼だったのかは今でも時々考える。でも、それだけでしかない。

今回の震災で多くの人が亡くなった。生き残った人はどんなことを考えるのだろう。

産経の道丸記者のコラムを読んで。

セルフブランディング

facebookが映画のせいで、日本に浸透してきたせいか、facebook本がそのへんの本屋にも目立つようになった。Linkedinが先に来るかとは思ったのだけど、どうやら違うようだ。2chをベースにして悪い意味でも、良い意味でも匿名性をベースにして発展してきた日本のインターネットは、言いたいことを言うと村八分にあうような「表社会」と色々な意味で「裏社会」になってきた。

そんな中でもfacebookを使って理想像を作り上げるような「策士」はやはりアメリカにもいるらしい。やっぱり、ネット上もリアルコミュニケーションの一部になってきたということなんですかね。

クラウドって言っちゃいるが

それほど先進的な企業でないので、そんなに最先端の技術が降りてくるわけでもないし、実践で使っているわけでもないのです。他の会社だと違うんですかね。集合知がある程度正しいのは色々な所で認められてはいるとおもうのだけど、やっぱりもう少し皆が端末を持って、常時ネットに繋がって、「ゴーストが囁く」くらいじゃないと何かしらの壁は超えられないのだろうな、と思う。

どさくさ

震災のどさくさに紛れて信用金庫から4000万持ち去った、なんてニュースがありましたが。震災明けの週明けに緊急連絡先と称して携帯メールを部長から求められ教えたわけです。電話番号はまあ、オープンにしているのですが、携帯メールはオープンにしていなかった。iPhoneでも、ガラケーでも、職場のアドレスはgoogle経由で拾っているから必要ないだろ、ってのが表向きの理由で、ぶっちゃけた話をすればプライベート情報に属すると思っていたから。

で、そのプライベート情報をあっという間に「共有」と称して部内全員に公開された。ま、いいんですけど。プライバシーマークもとっているから、とちょっと油断しすぎた。女性がいないからまだ許されるのかね。気にし過ぎなのかもしれないけど。

みずほ銀行はどうなった

ぼちぼち復旧したような感じがするみずほ銀行のシステム障害。結局、募金口座の開設時の書類ミス、っていう報道が一番正確そうな感じですな。システム的に上限を置くのは仕方ないとしても、それだけで全部のネットワークが止まるとはちょっと想像しがたいんだけど。実際どうなんだろう、中の人。

東戸塚

東戸塚は僕が鬱になった地だ。日立のソフトウェア事業部があり、2003年の年末から、半年間、そこで苦しんだ。ACのCMで啓発しているような事は実際に起こりうるべくもなく、理不尽さの極みに苦しんだ。今も、多少おこちゃまな所はあるが、多少は大人になって、ベキ論とそうでない論の使い分けは上手くなったつもりだが、本当は上手くなってはいけないと思うし、そんな理不尽な奴をのさばらせておくような会社が、社会が、みんなが嫌いだった時期がある。

そんな東戸塚に行ってきた。横浜のダイエーが地盤に打撃を受けて開店しないので、ダイエーに行ったんですけどね。ダイエーは(ソフト)のすぐ横。(T2)のすぐ横。やっぱり、実際に建物の映像を視覚にするだけでフラッシュバックはあった。もう一生収まらないものなんだろう。付き合い続けるしか無い。

外部連携じゃないか

みずほ銀のシステムがダウンして、人事部から、今月の給料は別の口座に振りこんでやろうか?と言われたのですが、結局JCBの引き落としとかなんとか、全部みずほなので、そのままにしておこうかな、と思っております。それにしても、みずほって書くと嫌いな政治家を想い出すのでなんだかやるせない。

で。今回のシステムダウンは外部連携部分じゃねーの、と密かに思ったり。そもそも同じ銀行内であれば、キャパシティにもそんなに制限はないはずだし、都銀同士なら、外部から連携バッチが飛んできても、それなりに高速処理が可能な筈。ただし、銀行外とか、一般のシステムから飛んでくる入金バッチとか、出金バッチは何だかキャパシティが溢れかえってそうな予感がするわけです。

ま、最近そこまできっつきっつのシステム作ってないし、トレンドはわからんのですが、やっぱり3秒以内とか、要求は厳しいんでしょうな。

メンタルクリニック

地震の後、初めてのメンタルクリニック。睡眠薬を増やした。次回は1ヶ月後なので、補助の薬は2週間だけですけどね。結局、地震で興奮していたせいもあるんだろうけど、マイスリーがないと眠れないのは確実なんだよね。

多分、あと1,2年はこのままなんでしょうか。