きっかけは一つの言葉。

仏に仕える者を討つ。石山本願寺の焼き打ちが正しかったか、そうではないのか。そんな事は知ったことではないが。物事には多面的なものの見方があって、新しい「見方」を気づかせてくれるのはいつも一つの言葉。そして、一人の人間。兼続が信長に会って言われたことが、義、義、義、で押し進んできた彼の世界観を変えたのかもしれないように、いつにあっても人はアンテナを高くはって用意しておくべきなんだろう。

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