実朝が暗殺されることによって、公暁に「肩入れ」していた三浦義村の野望が薄れた、という感じだろうか。表向きには「敵役」としての源仲章が死んでくれて、北条義時の権勢がさらに一段あがった感じなんだろうが。
義時は、かつての自分を息子に「見ている」から、世代交代で権力を譲り渡すまでには盤石の世を作ろうとしているように見える。結果、渡り歩いてきてまだ「生きている」のは、まさに、「まだやることがある」からに他ならないのかもしれない。
この国では口に出来ないような話。
実朝が暗殺されることによって、公暁に「肩入れ」していた三浦義村の野望が薄れた、という感じだろうか。表向きには「敵役」としての源仲章が死んでくれて、北条義時の権勢がさらに一段あがった感じなんだろうが。
義時は、かつての自分を息子に「見ている」から、世代交代で権力を譲り渡すまでには盤石の世を作ろうとしているように見える。結果、渡り歩いてきてまだ「生きている」のは、まさに、「まだやることがある」からに他ならないのかもしれない。
次回予告は「思わせぶり」であったのに、結局、肝心の暗殺シーンは持ち越すという。
でも、公暁が暗殺を実行してから、三浦に裏切られて殺されるまでをワンセットと考えると、こういう描き方になるのも納得がいくかもしれない。
トウの暗殺失敗は、衝撃だったが、源仲章の智謀が際立つ演出でもある。殺害までの描写はなかったので、生きているとすれば、何らかの伏線だろうか。
最早、愛想が尽きた。あの御方は、鎌倉を捨て、武家の都を別のところに移そうと考えておられる。
鎌倉殿の13人「審判の日」
義時が将軍を守ることを止めるきっかけは、源仲章に「のせられた」将軍が鎌倉御所を「西に」移すと言い出したことなのかもしれない。だが、裏を返せばそれは、義時が「頼朝の理想」を大切に思っていることの表現でもあるかもしれない。
将軍になれると「思った」公暁と、そのつもりはなかった実朝。将軍の資格とは何なのか、という話と、お互いの思惑が見えなくなる死角。
一方で、源仲章が暗躍し、北条得宗家の転覆を図ろうとするが、これまた暗躍する三浦のやり方次第であったりして、なかなか巧くはいかない。
今回は物語を「繋ぐ」傀儡廻的な存在がいたほうが良かった気がする。一点から物語を俯瞰して観ることが出来ず、史実をさらわないと、実際問題としてはどうだったのか、という理解が追いついてこない。物語の最終盤まで来て、なんだか、そんな気がした。
将軍が建造した巨大な船と、それに纏わる物語。
船の建造技術は、いまほど一般的ではなかっただろうし、一大プロジェクトだったことには相違ない。結論としては、将軍の「ダメさ」加減を際立たせることになるんだろうか。将軍として「覚醒」した実朝の意識は結局空回りに終わるのだ。
些細な行き違いから生まれた和田の乱。
和田の家が、ある意味「実家のような」居心地の良さを感じていた将軍は嘆き悲しむが、それはそれとして、物語は進んでいく。大江広元の太刀さばき、殺陣は見事だったが、なんだか物足りなさを感じた。
巴御前のラストシーンは泣けたが、それくらいだろうか。
将軍を和田義盛ファミリーと「近づけていた」のが伏線だったのが、和田義盛の乱でよくわかる。
暗躍する三浦義村は、山本耕史のキャラクターも入り混じって、相変わらず「胡散臭い」が、将軍が心の「拠り所」にしていたであろう和田の「家」を失う恐怖と、自らが将軍であろうとするための「べき論」の狭間で葛藤するようなイメージは見事、といったところだろうか。
満を持しての長澤まさみ投入。テコ入れする必要もないような感じはするのだが。
言ってみれば、今後のストーリーへの「伏線」を用意するエピソード回。最後に旅立つのは三代将軍を殺害する人だし、将軍に世継ぎが生まれないエピソードも明かされる。和田義盛の話は次回に取っておくとしても、いろいろな伏線が張られた。ファイナルへの助走、といった感じだろうか。
遂に決断の時。
絆は永遠の「はず」だったもので、永遠ではなかった。義時の衣装は、闇に、ダークサイドに堕ちていく都度、濃くなっていって、遂に黒が基調になる。
「道具」として前任者から受け継いだ暗殺者が、悪の元凶である継母を「仕損じる」とは想定外だったのかもしれないが、これで、物語は「始まった」と言えるのかもしれない。大河ドラマの半分以上を費やして。
謎を呼んだタイトルだったが、蓋をあけてみれば、単なるお経の文言だった、というオチがついた。
結局、りくの「悪女」ぶりが際立っていて、親父殿は何も悪くはない、というストーリーなんだけど、父親を追放することによって、義時の物語は一個、壁を超える。肝心の捕縛シーンは週を跨いだが、将軍自身が、あまり際立った「自我」を出さないところに、彼が主役ではない、という実感を感じる。
武士の鑑、というタイトルでまず思うのは、所謂「武士道」という概念が確立されたのはいつなんだろう、ということ。現代に伝わる武士のお作法はおそらくは江戸時代のものだから、結局はそれくらいの時代なんでしょうけどね。
本編を見るとわかるけど、鎌倉の頃の甲冑は戦国期のそれとは違って、まだ「見栄え」のようなものが重視されていた時代。武士とは何か、武者とは何であるか。譲れないものが何であるか。畠山はどんなものを、思いを抱いて死んでいったのだろうか。