家族

正直な話。子供の頃、家族との楽しい思い出はない。30を超えた今となれば、父親の性格や、母親の性格もわかって、ああ、あれはああいうことだったんだな、って思い返すこともできるけど。子供の頃はそんな事を考える余裕なんて当然なくて。ただただなんなんだろう、この人は?って思っていた。自分で動かず、何でもかんでも周りを動かして、周りが動いてくれるのが当たり前だと思っている父と、家に居候している自分の母親の部屋に閉じこもりっきりだった母。私を思いっきり引っぱたいて育てた母は9歳離れた妹が育った頃にはそんなひっぱたく元気もなくなっているように見えた。

私の幼少時の記憶は、どれも、食事のシーンとともによみがえる。
7人家族で囲んだ大きなテーブル。
忙しい母が、一緒に落ち着いてテーブルについてくれる時間は
ほんのわずか。
あ、やっと座ってくれたと思ったら
また、立つ。
7人もいれば、誰かが
「お醤油とって~~~」
「ご飯、お代わり~~。」
「マヨネーズは?」
などと注文をつける。
その度に母は席を立ち、テーブルと台所を行ったり来たりしていた。
やっと椅子に座ったかと思うと
電話がなったり、お店にお客さんが来たり・・・。

そんな母を見ていて、子どもながらに思っていた。
夕食のときぐらい、ゆっくりテーブルについていられるお母さんがいいなあって。

だから、今は、食事の時間を大切にし、
テレビを消し、
すきな音楽を静かにかけて、
ゆっくりといろんな話をする。

「あのね~~ママ~。今日こんなことがあったんだよ。」と
話してくれる日は、とても嬉しい。

「○○ちゃんがこんなことしたんだよ。」
「○○ちゃんがあんなこと言ったんだよ。」
と、もっぱら、お友達との関わりについての話題が多い。

平成 田代屋本舗

僕は、正直、こんな食卓の風景が記憶にない。ひねた世の中の見方をしていたのかもしれない。うん。そうかもしれないけど。こんな暖かな食卓ではなかった。だから、子供にはせめて、暖かい食卓と、暖かい家族の愛を注ぎたいし、子供がいる友人には注いで欲しいと思う。どんな形であっても、「原体験」はその後の人生に多大な影響を与えるのだと思うから。どんな形であっても、人間の根幹は幼少期に形成されると思うから…

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