終戦の日

小学校5年生で仙台の中心部の小学校に転校して、2年を過ごした。5年生だったか、6年生だったか、どっちの時か明確な記憶が無いのだが、仲ノ瀬橋の下のほうの地区の老人に戦争体験談を聞きにいけ、というフィールドワークがあった。生々しい戦争の記憶を聴くのは貴重な体験ではあるのだが、当時から大人の言うことを「聴くふり」を覚えて実践していた僕は、「めんどくせーな」という気持ちが立ちつつも、適当に話を流して、その場を終えていた。

見知らぬ大人と話をして、アレコレ聴くのは小学生にはストレスだ。なんであんな授業があったんだろうか。

と思うが、戦後67年の今日、生で戦争体験を語れる人たちが減っていることには何か危機感を覚える。ハイテク化が進み、「手に血がつかない人殺し」(シャア)が減ったであろう、今、歴史史料以上の何か生な語りを何処かに保存しておくのは非常に重要ではないかと思う次第。

ま、左翼史観に汚染された極度な語りはいらないけれど。

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