日本人であることの証

僕が大好きで尊敬する人は、英語を生業として生活しているが。彼女はかつてバーで酒を飲んだ時にこう言った。

たとえばね、外国人と向き合って会話をするとき、日本の事を聞かれて、自分の知識がなくて答えられないのって日本人として恥ずかしいと思わない?悲しいと思わない?

要は、これが中学や高校で実生活では殆ど役立たない知識を詰め込む理由だと思う。入試だの、教養だの言ったって、結局は日本人として、自国の文化を知ることが大事だ。地図記号なんかは今さら、という感じは確かにしないでもないが、知識として頭に置いておいて損ではない。

で、なんでこんなことを書くかというと、某サイトでこんなエントリを拾ったから。

学校で習って以来ほとんど使ったことがないのだが、これを現代において覚える意味がよく分からない。いっそGoogleMapの使い方を覚えたほうが意味がある気がするのだが、どうなのだろうか。

振り返ってみると、古文とか漢文とかもはなはだ疑問である。中身が重要なら現代語訳で読めばいいだけなのではないか。レ点とか、日本独自の読み方を学ぶ意味が分からなかった。
何も実用性がないものは学ぶ意味が無いといいたい訳ではない。言語の成り立ちを学んだりすることは言葉を理解する上で重要であろう。
高校以上の数学だって、論理的思考を発達させる意味において重要であるわけだし。

学習において実用性だけを問う必要がないことは重々承知しているが、脳への刺激が同等に得られるのであれば、実用的なものの割合をもう少し増やしてもいいのではないだろうか。

子供たちは何を学ぶべきか

実用的な事を学ぶべき、スピーチの練習をする、try & errorを繰り返す、それが大事なのは百も承知だが、教養を全く否定してしまって良い言われはないと思うわけで。むしろ、人前でスピーチをして、何かをなさないといけない機会なんて、大学や、社会人にならないとそうそうないわけで。実用知識はtry & errorが大事なので、16とか、18になっても良いではないか、と個人的には思ってしまう次第である。

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