タバコとコドモを同列に論じてしまうっていうのは個人的には如何なものかねえ、と思うのです。【眼光紙背】タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ!
この赤木って人の論説も微妙に暴論なような気がするのです。まあ、受益者負担っていうのはごもっともなんだけど、受益者負担の論理を持ち出したら、行政は成り立たなくなるわけで。その辺はどうやって折り合いをつけていくかが重要だと思うし、政治の課題なんだと思う。と考えると神奈川の松沢が打ち出している公共の場所での全面禁煙、っていうのも政治的にはちょっとね、ってなるんだよね。
で、小飼弾氏がこれに噛み付いていて。
赤木は、こう言うべきだったのだ。
私には「個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為」と「個人が自らの幸福を追求するためにタバコを吸う行為」に、大きな違いがあるとはまったく思えない。どちらも自らの幸福を追求するという点は同じではないか。いや、大きな違いが一つある。子どもは長じて喫煙者になりうるが、タバコは喫煙者になりえない。その分だけ、子どもを産み育てるのは、タバコを吸うよりひどいとすら言える。タバコは燃えたら煙と灰になるだけだが、子どもは大人となり、個人が自らの幸福を追求する行為を通してさらに社会に迷惑な存在になるどころか、さらに子どもを作ることさえするのだから。
そして、こう書き加えるのである。
正直たばこがうらやましい。煙と灰になるだけなのに、社会はそれを問題として扱ってくれる。煙にも灰にもなれないワープアは、社会にとって存在しないも同様の扱いだ。そして扱われる際は、タバコよりも煙たい存在として扱われる。そうかも知れない。タバコは三兆円の税収をもたらすが、ワープアには税金を払う余裕すらないのだから。ましてや「明日の納税者」を生んで育てる余裕は、ない。
アナタはかつてコドモで、もしかして今もなおコドモかも知れないが、アナタはタバコだったことはないし、今後もない。
タバコとコドモの違いなんて、これで必要にして十分ではないか。
ワープアを持ち出してきてしまうのも極論じゃん、って思ってしまう。コドモがコドモを、っていうのは良いし、コドモが喫煙者に化けて納税額が増えるっていうロジックもまだいい。だが、なぜ、そこでワープアを持ち出す必然性があるのかがわからん。結局オチがついてないだけか。