金ヶ崎撤退戦がまさかの「ナレーション処理」されて、一気に姉川の合戦へ。徳川家康の物語が長いのは充分に承知はしているのだが、ピックアップする場面が微妙にズレていないだろうか。信長が金平糖を渡してやったり、随所、随所に物語らしい部分はあるのだが。
姉川の合戦で、秀吉が家康の陣に鉄砲を撃ち込ませていたのだが、あれが、関ヶ原での小早川陣への発砲に対しての長い長い伏線になりそうな気が少しした。
この国では口に出来ないような話。
金ヶ崎撤退戦がまさかの「ナレーション処理」されて、一気に姉川の合戦へ。徳川家康の物語が長いのは充分に承知はしているのだが、ピックアップする場面が微妙にズレていないだろうか。信長が金平糖を渡してやったり、随所、随所に物語らしい部分はあるのだが。
姉川の合戦で、秀吉が家康の陣に鉄砲を撃ち込ませていたのだが、あれが、関ヶ原での小早川陣への発砲に対しての長い長い伏線になりそうな気が少しした。
金ヶ崎撤退戦の一部始終が描かれるのかと思っていたのだが、阿月が金ヶ崎に辿り着くところで終わってしまった。来週が姉川なので、撤退戦の部分は、あんまり描かれなさそうな予感がする。明智光秀は、この物語では所詮「脇役」に過ぎないのかもしれないが、撤退戦で明智光秀を主戦に置かないところもいまいちなんか、理解出来ない。
麒麟がくる、の明智光秀と足利義昭の描き方がまだ視聴者の心に残っている中でのこの描き方は「無し」だと思う。
所詮は、ドラマなのでどうでも良いのかもしれないが、良くも悪くも連続性というものがあって、長谷川博己の明智光秀との「落差」はあまりに大きすぎた。かたや主役で、かたや脇役なのかもしれないが。
次回、金ヶ崎撤退戦はある意味で明智光秀が主役なのだが、そこの描写はほぼなくて、おそらくはお市が遣わした侍女の「阿月」と、その持ってきたメッセージの解読が本流なんだろう。
そういえば、なんですが、中井貴一の「武田信玄」で圧倒的な存在感があった寿桂尼が、今回のドラマでは出てきませんね。
その代わりが「太守様」である野村萬斎なんだろうけど。野村萬斎が物語の影のキーになる存在なら、少し今までの見方を変えないといけないかもしれないなあ、とは思うのですが、野村萬斎の今川義元がいつまで出てくるか、というのは物語を読み解くヒントになるのかもしれない。家康がいつまであの鎧を着ているのか、というのも含めて。
あとは、本多忠勝が良い感じだったと思う。今川氏真に敢えてトドメをささず、傷を負わせ、殿が大好きな氏真と殿との対面をお膳立てしていた。
原作に思い入れがそんなに無い状態で観たせいなのか、庵野秀明の失敗なのかはわからないが、少々違うような印象。
シン・ゴジラにおける原典へのリスペクトと、受け継がれた「恐怖感」「畏怖感」のようなもの。シン・ウルトラマンにおける原典へのリスペクトと、オマージュ感。その辺りがさっぱり感じとることが出来なかった。
そもそも等身大のヒーロー物という時点で、描き方というのは前2作とは変わってくると思うのだけど、場面が山の中やコンビナートというのはさておいても、あんなに空中高く飛翔したり、ピョンピョン飛び回るものだろうか。
庵野秀明の思い入れがどの辺りに「生きて」いるのかがちょっとわからなかった作品。
武田信玄の駿府侵攻、そして翻っての浜松侵攻。
色々と事情を鑑みれば仕方がないのかもしれないが、合戦シーンはもう少し丁寧に描いて欲しいと思った。駿府が堕ちるにしても、そこには色々な物語があったはずで。この調子だと、三方原の合戦もあんまり期待出来ないかなーという気がする。三方ヶ原で死ぬ夏目が出てきているので、ある程度は期待はしているのだが。
側室の問題は、大河ドラマ戦国ものだと、大体出てくるのだけど、今回は督姫の母である西郡局が登場。大河ドラマではあんまり出てこないのではないか、と思いがちですが、「葵徳川三代」での登場があった模様。
話の「オチ」が、ちょっと現代風にアレンジされすぎかな、という感じがする。督姫は結構重要な人物になりそうなのだが、母親がここで退場でいいのだろうか。それとも督姫自身はもう描かれないとなると、北条との同盟話と、秀吉の小田原征伐あたりの葛藤がどうなるのかが、ちょっと微妙になってくるかな。
人生もいつかは終わるのだが、コンテンツもいつかは終わる。日経テレ東大学もまた、然り。ただ、今回の終わらせ方はなんだかなあ、という感じが正直している。文春の報道が全てではないのだろうが、どうも、このクニは「変化」を好まない傾向にある。
後藤達也氏が云うところの、「日経のエスタブリッシュメント」達は、結局、日経テレ東大学を終了させる、という選択をして、変化を「拒んだ」のではないかと思う。mixiや、facebook、twitterの潮流から、youtubeや、Tiktokへの移行を上手く乗り切れなかった日経にとっては、日経テレ東大学は、「それなりの」コンテンツだったと思うのだが、それを切り捨てて、元の保守本流、エスタブリッシュメントを守ることがどうやら、彼等の正義のようだ。
結局、このクニは「外圧」でしか、変革出来ないのかもしれない。
タイトルの「守るべきもの」というのが、何だったのか、というのを暫く考えたが、結局何だったのか。
家臣を信じなければ、家臣はついてこない、という冒頭の老人の説教が全てなのかもしれないが、結局は、家臣団の美しさと、お互いの信頼関係の美しさを描きたいのだと思う。「神の君」などと持ち上げてはいるが、結局は、それを支えている家臣団があればこそ、なのだから。
早いもので、もう3月。年初に決めたはずの色々な約束事は2月に漏れなく崩壊してしまったような感じがする。唯一続いているのはチョコザップ通いくらいなものだろうか。それも続いているだけ、良しとするべきなのかもしれない。
物欲がなくなって、色々なことにモチベーションが持てなくなって、しばらく経つのだけれど、どうしたら回復するんだろうか。在宅勤務が続いているせいもひょっとしたらあるのかもしれない。日常での「刺激」というのは多少なりとも必要だな、と思う。