どうも責任を取りたがらない責任者達が多すぎて困る。
実質的に仕切っているのに
実質的に仕切り屋なのに
仕切っていません
と言い切る奴が多すぎて困る。
基本、役職とか、貰う給料の総額とかは責任の大きさに比例すると思っていて、それだけ貰っているし、それだけの役職なんだから、率先して責任取ろうとしなさいよ、という言葉が喉元迄出てきすぎて困る。
この国では口に出来ないような話。
どうも責任を取りたがらない責任者達が多すぎて困る。
実質的に仕切っているのに
実質的に仕切り屋なのに
仕切っていません
と言い切る奴が多すぎて困る。
基本、役職とか、貰う給料の総額とかは責任の大きさに比例すると思っていて、それだけ貰っているし、それだけの役職なんだから、率先して責任取ろうとしなさいよ、という言葉が喉元迄出てきすぎて困る。
中学入試の季節だ。当時それなりに進学校と呼ばれた学校を卒業した身としては、中学生高校生という多感な6年をそこで過ごすことが本当にhappyで幸せな事かを親御さんにはもう1度思い直してもらいたい。私立中学への入学はゴールではない。始まりなのだ。6年後の入試に向けて。そしてその4年後の就職に向けて。そしてその後の就職や出世競争に向けて。
身をおく環境によって人格形成は変わるし、経験するものも違うが、じゃあ、そこにいることが果たして子供にとってhappyなのか。学歴はないよりはあったほうがいい。学歴がなければ得られないチャンスは山ほどある。だけど、そこに6年間も身をおくことが本当に幸せか。
オポチュニティコスト、という意味においてどうだろうか。
今日は成人の日。和服の女性は美しいとは思うが、やっぱりなんだかな、って思う和装の新成人と思える人間は横浜駅界隈で見かけた。ゆとり教育に問題の原因を求めるのは違うと思っていて、結局は親の教育とか躾の問題だと思っている。遡ればその親の親の問題。教育方針や躾は遺伝すると思う。沖縄の成人式は今年も「荒れた」そうだが、美意識みたいなのは年々どんどん減っていくのでしょうね。
年が開けて1回目のメンタルクリニックはいつも同じ思いを抱く。初めてメンタルクリニックを訪ねたのは正月明けだった。山下公園近くの暗い路地の雑居ビルの2階。あれから何年経っただろうか。最初のパワハラモラハラで苦しんだのが社会人2年目の秋から冬。2003年のことだ。1年明けて、2004年の末に苦しむ僕に説得してくれた同僚の女性。そして2005年の正月に僕はメンタルクリニックというところを訪れた。
7年経った。7年だ。小学生は小学校を卒業する。中学生は高校を出て、ひょっとしたら大学生になっているかもしれない7年という歳月。心の病は色々な事を変えて人生が狂った。恨みは一生消えない。
7年目の今日、薬は睡眠導入剤だけになったが、薬がなければ早朝覚醒する。医師はもう、定期通院じゃなくて、必要な時にくればいいんじゃないか、と言ったが、1ヶ月後に予約をした。睡眠導入剤は法の規定で処方は1ヶ月までだ。まだ何も終わってない。狂った人生を取り戻すことは多分、もうないんだろう。
今の人間が撮っているから、あるいは後の時代の人間が山本五十六という人間を描いたからなのかはわからないが、結局「空気を読む」価値観がこの国を駄目にしたのだ、という想いを新たにした。大東亜共栄圏の建設だとか、海軍万歳とか、そういう戦中価値観だとか、ストーリーテラーが新聞記者だからとか、その辺の演出もあるかもしれない。
映画としては役所広司が真ん中にいて、脇にいるのがいずれも名脇役といえる俳優ばかりなので安心して観られる映画。2000円払ってもいいかな、と思える映画に久しぶりに会えた。
南雲忠一が駄目すぎて、山口多聞が美談にすぎていないか、という気は少ししますけどね。
基本的には去年からの流れは継続して仕事に入ることが出来たとは思う。人を信じないから疑心暗鬼になって、信用できなくて、何も出来なくなる。そんな悪循環を断ち切るようになれれば、そこを突破するような「何か」を得ることは出来ると思っている。
ただ、それはそんなに簡単なことではないですよね。
年賀状は1年に1度の消息確認であると共に、覚えていて欲しい人が自分の事を覚えていてくれるかどうかの指標でもある。年賀状は最早本当に親しい人からしかこないし、それはそれでいいと思っている。
今年も彼女は僕に年賀状をくれた。彼女が僕の事を忘れないでいてくれる証拠だ。
正月というのは家族付き合いが面倒だなーと思います。特に父方の家系が。本質的に嫌いなんですよね。親戚付き合いをしたいともかけらも思えない。なんだろう、この思いは。
いかんせん、幼い頃の嫌な思い出が蘇るわけで。この想いを抱いたままで結婚は出来ないなあーって思います。親戚付き合いが面倒なままで結婚とかできないよね…
年の始めに。
色々と面倒だな、とは思いつつも少しずつプラスの方向に向いてきた2011年、もう少し進化を進めていきたいというのは変わりません。何をしたい、こうなりたい、そういうのは何もないですが、少しでも幸のある人生を歩むことが出来ればいいなあ、と思います。
今年は上司上長とのわだかまりが多少なりとも取れたこと、なくなったことが一番の成果だと思います。うちの会社は9月から年度代わりですが、9月の人事考課で、ようやく彼が考えていること、ビジョンがわかって、そこから一気に駆け出せたし、変に遠慮するのもやめました。まあ、おかげで昨日の納会で散々部長にいじられましたが。
出来るんだったら、最初っから成果だせよ、と。
うん、まあ、これはこれでいいんじゃないかな。体調の回復と上長の信頼回復はセットでプラスな事項です。年の頭は辞めよう辞めようと思ってましたけど、今はとりあえず、もう少しいようかな、という感じになってます。