スタルクアイズ
- 2009 6/15
- 投稿者 : nagumosan
ハゲタカで鷲津役の大森南朋がかけていた、スタルクアイズのメガネ。欲しいんだけどなあ。5万円ってどうなのよ。フレームだけで。レンズが3万として、8万か。メガネは良いものをかけたいとは思うが…微妙だ。
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ハゲタカで鷲津役の大森南朋がかけていた、スタルクアイズのメガネ。欲しいんだけどなあ。5万円ってどうなのよ。フレームだけで。レンズが3万として、8万か。メガネは良いものをかけたいとは思うが…微妙だ。
wordpress2.8を入れてみたが、大した変化がない。特に急いでいれる必要もなさそうだな…
それにしても、このリリースの速さは異常すぎやしないかな。Firefoxも最近やけにデバッグとバージョンアップが早いし。
ヨーロッパではIEをつけないらしい。
現行OSのウィンドウズ・ビスタなどにIEが無料で付属していることについて、欧州連合(EU)欧州委員会が独占的地位の利用に当たり、EU競争法違反の疑いがあると問題視していることに対応した。
欧州委は音楽・映像再生ソフトの抱き合わせ販売などをめぐり、MSに対して2004年3月以降、3回にわたり累計約16億7000万ユーロ(約2300億円)の制裁金支払いを命令。IEについても適切な対応がなければ制裁手続きに入るとしていた。
ユーザーからしてみれば、どっちでもいいんだけど、Firefoxを使うにしても、chromeを使うにしても、ダウンロードするにはIEがあったほうがいいんじゃないのかね。あるいはFirefoxもchromeも同梱してしまうか。そっちのほうがいいと思うのだけど。
かつて、インターネットがもてはやされていたころは「ペーパレス」な社会が来る、なんてことが声高に言われていたわけなんだけど。今だにそんな社会はやってきていなくて。あちこちのオフィスではゼロックスのマシーンが今日も動いている。となると、IPv6でマイクロソフトが騒いでいた2002年のinterop展示会も今となっては幻想ではないのか、と思えてくる。
家電にIPアドレスが振られるのなんてまだまだ先の話なんだろうなあ。
ということで、村上春樹の新作が馬鹿売れだそうだ。ペーパレス社会なんて嘘っぱち。こんな形でわかってしまうのが面白かったり。
最近、集合知の本をちびちびと読んでいて、「ブロゴスフィア」という単語を改めてしみじみと読んだ。blogを中心としたwww上の集合知。google先生に聞けばどかん、とあらゆるblogがひっかかってくる。ただ、blogを中心とした文化の「ブーム」は既にかなたへ行ってしまったような気がしていたのはどうやら僕だけではなかったらしい。
元々ブログは、ネットで書く「日記」として登場したのだけれど、我々はいつの間にかそれ自体に過剰な期待をしてしまっていたのかもしれない。日々の些細な出来事をそれなりの描写して、毎日のように他人に読んでもらうことに関して、何の見返りもなくてもそれにやりがいを感じ、一定の質を保った記事を継続して公開できるだけのモチベーションを内在している人は、それほど多くはない。ブログを書き続けることによって、金銭や名誉、ポジションなどといった目に見えるリターンを求めようとすれば、企業とのコマーシャルな連携を求めようとする動きが出てくるのは当然の流れだったが、それも(具体例は避けるが)、うまく行っているようには思えない。
個人の意見や独白と、商業的なインカムとの接点が、いかにもブログは中途半端で微妙なところがあり、その割には自発的なコミュニティ空間の形成には、非力である。TBやコメント機能はあるにはあるが、読者は広大なブログ空間をさまようのみであり、自分がまとまったコンテンツの発信者にならない限りは、入場券さえもらえないような状況にあったように思う。そして、その入場券をもらえる人はほんの一握りである。アメーバの有名人ブログの盛況は、発信者としての多くの我々には関係がないことなのである。
そう。発信者としての大部分はアメーバのようなところに属する人達ではない。blogは確かにコミュニティの醸成には不向きなメディアだ。だけど、それはいわゆる「商業blog」の話であって、僕みたいにwordpressを使って発信をしている人にとっては「形成しようと思えば」形成できるようなコミュニティの素地はあるのかもしれないとかすかな希望は抱いている。
そもそも論から言えば、コミュニティというのは、「ある目的」をもった人たちが集う場であって、そも自然発生的にできたりはしないものではないのか。アメーバだって、「芸能人が好き」という人たちのコミュニティにすぎない。となると、やっぱり風景は「変わり始めて」いるのかもしれないね。
大体、日々やること、やるべきことは決まってきた感じがある。本当はもっと気を回せばいろいろとやることはあるのだけどね。上に立つ人間が言われなければやらねーよ、ってタイプなので、じゃあ、自分もやる気はない。いろんな意味でお互い気を遣いあえばもっといい職場になるような予感はあるのだけど、まあ、ないんだろうな。
梅田氏の著作は何回か読んだことがあるが、MSNから引用する。
ところが、今回のインタビューでは、この楽観主義が一転したかのような発言が目立つのだ。まず、梅田さんは、日本のSNSについて、
「上に上がるため、自分を高めていくため(の役割を果たしている)、という流れがあるかというと、部分的にはあるかもしれないけれど、比較論で言えば英語圏と日本語圏とずいぶん違うと思いますけどね」
と、米国と日本とを比べた時に、国内のSNSはインフラとしての役割をあまり果たしていないことを指摘。
また、08年11月、梅田さんが「ツイッター」に
「はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶ(編注: 「はてな」が提供している「はてなブックマーク」)のコメントには、バカなものが本当に多すぎる」
こう書いて批判が殺到したことについては、
「日本語圏のネット空間において、ユーザーが100万人とかいるはてなの取締役であると。そうすると、日本語圏のネット空間について、何かネガティブなことを語るということは、『おまえは自分の利用者を批判するのか』というコメントがあったわけ。それについてコメントすることも、僕はやめようと思ったんだよね」
と、日本のネット環境に対しての息苦しさを示唆した。
■「”上の人”が隠れて表に出てこない、という日本の現実」
また、梅田氏は、一部の非常にすぐれた人がウェブを通じて表に出てくれば「知」を共有でき、実際に、英語圏ではそのような層がリーダーシップをとっているとの持論を展開。その上で、
「素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、”上の人”が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです」
などと説明している。
これまでの「ポジティブ思考」から大きく方向転換したともとれる内容なだけに、ネット上での反響は多く、特に、記事に付けられた「はてなブックマーク」の数は1400を超えている。
ある意味においては、そのとおり。隠れて出てこない、っていうのは別にwebに限ったことではなくて、そもそも論としての日本人の国民性じゃないかと思うのだけどね。ただ、氏のいう「すぐれた人」っていうのがどの辺の層を指しているのかいまいち不明だよなあ…
まあ、いろいろ。
血液検査で4000円も取りやがったのが何とも納得いかない。
川崎チネチッタはお粗末すぎる。責任とって金返せ。
ああ、でもハゲタカは良かった。
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