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カテゴリー : 思索

MOZU

電車広告で観て、気がついたんだけど、MOZUも結構好評で、劇場版までいったんですね。最近は昔のように、テレビドラマから劇場版や、ビデオシリーズへ行くような作品は減ったイメージがありますが、西島秀俊も代表作が出来てよかったんじゃないでしょうか。私は未だに彼に関しては山本覚馬のイメージが抜けないわけなんですけど。というより、ニュースルームついでにwowowで観ておけばよかったなーと今更後悔している。

指示待ち人間の誕生

指示待ち人間がなぜ生まれるのか、という話なんだけど。

問題なのは、指示なしで動くことを求めておきながら、後からそれを全部否定して「自分の思い通りに動かなかったことを詰めること」だと思う。そうなると、動く方は最初から指示を出せよ!って思いはじめるわけで、結果として「指示待ち人間」に育っていく。要は指示待ち人間は指揮官が育てているのだよ、と。このまとめの主体で語っているような人は本当に少ないと思う。希少種だ。

助けられて当然じゃない

子供の写真を使った年賀状議論に煽られてベビーカーを助ける助けない、なんて議論が蒸し返されているのですが。

ベビーカー邪魔って言う奴が邪魔

結局、助けても感謝されない社会になってしまったことが一番大きいのだと思ってる。最悪の場合は難癖つけられたりしたりするらしいしね。君子危うきに近寄らず、という保身意識を国民レベルで持ってしまったのが原因ではないかと思う。そういう意識で考えると、増田のPOSTが一番腑に落ちるわけなんですが。

なぜ日本の女性を助ける気が起きないのだろう?

ホント、感謝は大げさなくらいがいい。海外旅行に行く際は現地の「ありがとう」「どういたしまして」を覚えよう、というのは古きよき日本社会の名残なんだなーと改めて思った次第。
とりとめないけど。

忘れがちだけど

ディベートをやっていて、常識というのは人によって異なるのだ、ということを学んだ。朝日と産経で論点が全く異なることも。

はてなのとあるエントリーを読んで、世の中には「ネットをしない人」というのは未だに一定層いるんだ、と改めて思った。タブレットや、スマートフォンがこれだけ普及しても、ネットをやらない人、というのは依然として一定数存在して、そんな人に向けたサービスはいまだに健在だ。

プレゼン術

随分と久方ぶりにプレゼン術の指導をする機会があったのだけど、正直、本番前1回しかプレゼン練習しないなんて無謀じゃないの、って思いますね。ええ。まあ、観客が入ったばかりの新人で、職場説明で、主催が人事っていう時点でもう少し頻繁に練習させてもいいんじゃないの、って思う。彼3年目だし。プレゼンなんて度胸ですよ、(キリッ)とか言ってしまえば簡単なんだけど、あれは結局場数がモノを言うと思うんだ。

コミュ力ってなんだよ、って話

最近、思い悩むのはコミュ力ってなんだよ、という話。

一方が要求する「コミュニケーション」と、他方が要求する「コミュニケーション」っていうのは根本的に異なるのが持論で、SEというのは、基本軍隊組織だから、上の命令に従うのが絶対で、上の意向に基本沿うようなコミュニケーションが求められる。驚いたのは最初に勤めた会社の庶務のお姉ちゃん迄がそんな台詞を吐いたことだけどさ。「下命なら従わないとね」とか。

一方で、上司には上司の上司力みたいな話があって、ディビジョンマネージャーみたいなのは、巧く人を使うことを求められている。となると、おだてて、旗を振って、あれこれ推進していくのも仕事なわけ。思いを押し付けるだけじゃなくて、お互いハッピーな成果になるように結びつけていく努力が必要。

結局、成果を出すのが何よりも正義と思うわけなんですが、それを理解してくれるBOSSっていうのはなかなかいないんだよね。

「コミュニケーション能力」と十把一絡げに捉えることの弊害 – 脱社畜ブログ

ネット上で毒を吐くこと

諸悪の根源はこの国の「空気を読む」文化にあると思っていて、言葉の断片だけを捉えて、ネット上で毒を吐くヘイトスピーチを撒き散らすのは普段のnonWebの部分で自分が納得するような議論を出来ないからだと思っている。国の人間で有る以上は、等しく保護が与えられているべきなんだと思うのだけど、世の中はそうなってない。所詮、人は卑しく卑怯なもので、利権を引っ張ってくることしか考えてない。

でも、日本人はそれを正面切って言ってしまうことを恥だと思っている。

普段から正面切って議論すればいいのだと思う。そうすれば、web上のヘイトスピーチ等無くなる方向へ自然と動いていく。