今年は彼女から1日に年賀状が来なかった。悲しむことは別にないと思う。理由もない。もう10年以上逢っていない。でも、年賀状だけは来た。彼女は13歳上だから、今年は50になる。彼女と初めて会った時の彼女の年齢を僕は超えた。人生は早いものです。
本年も宜しくお願いします。
新しい年に。ここ数年は元旦に実家に行くのです。今日も行ってきた。そういえば、数年お餅を食べてないな。母親はおせち料理は作るのですが、父親が手巻きが好きなせいか(本当かどうかは知らない)、ここ数年はお餅が出ない。ま、別にいいんですけど。雑煮とか、しばらく食べてないや。
翻って。改めて思うのは僕はあの家族が苦手だということ。愛情を受けていなかったのか、何か原因があるのかは知らない。父と母は不仲だし、父は相変わらず自己中心的だし。妹は好き勝手生きているし。なんか色々めんどくさい。「普通の家族の幸せ」みたいなものが欲しいんだけど。無理なんだろうな。もう。
あ、今年もどうぞ、つまらない日記にお付き合い下さい。よろしくお願い致します。
2012年振り返り(仕事)
何だか、書かないといけない、という強迫観念にかられてしまって、昨日のプライベート編エントリーを書いたのだけど。仕事編。
今年は仕事の年だったと思う。基本ワーカホリックなんだろうな、やっぱり。身体と精神を壊していたので、脆い方へ、易きに流れていたのがここ数年だったのだけど、体調も精神も戻ってきて、社内の立場も安定してきて、ワーカホリックに戻った1年。とはいえ、社内では敵も作ったし、新たに味方も作った。年上なんだから敬え、とのたまうクズみたいな人間も見たけど、総じて暖かい充実した1年ではあったと思う。だが100点ではないし、給料は安いし、残業代は出ないし、もう1段あげて、「あがり」としての企業ではないな、というのが感想。来年は37だし、もう1回、40歳までに転職するならそろそろ動かないと駄目なんだと思う。そのための地場造りが必要。あとは技術的な部分のリフレッシュかな。
2012年振り返り
年末も押し迫り、開発がピークを迎えて今日も出勤等していたのですが、やっぱり振り返りはしておこうと思う。昨年よくなったと実感できた体調は特に異常なく、1年過ごすことが出来た。マイスリーは相変わらず必要ではあるけれど、そんなでもない気がしている。ただまあ、微妙な時間に起きる事が多くて、出勤時間がギリギリ過ぎるのを年度代わりに注意されたので、1本早い電車で通勤するように改めた。のだが。どうも、それから3時間半睡眠位で2ヶ月ほど生きてきている。実に微妙だ。3週間に1回くらい、半休をとって、睡眠というか、落ちてしまったエネルギーを回復させないと持たないのだけど。
婚活を年の後半から再会して、12月に漸く、出会うことが出来た。でも、今のところ彼女が正解だとは思っていない。今のところ。丁々発止で、渡り合える、相方のような関係が好きだ。あるいはどっぷりとこちらが依存出来るか。家に帰ってまで妙な気遣いはしたくないから。この辺は来年の今頃どうなっているだろうか。
裁量労働制
裁量労働制を導入する、という発表があった。裁量労働制を導入すれば残業代を払わなくても良いとでも本気で思っているんだろうか。勤怠時間を厳密に取ろうともせず、かといって、裁量労働制であると言いはってみたり。何だか色々滅茶苦茶。顧問弁護士とか、人事部とか、評価制度を改編した人事コンサルタントとか、本気でその辺どう考えているんだろう。
I have a bad feeling about this
往々にして第六感というのは非常に正しくて正確なものではないかと思う。それは就職活動や、結婚や、自分の人生と呼べるものを左右する場面においては特にそうだ。
世の中には残念ながらブラック企業と呼べるものがまだまだはびこってはいるが、そもそもここの増田のように「合う」「合わない」もあるし、「やりたい」「やりたくない」もあると思う。大切なのはbad feelingがあるのならば、そこへは進まないことだ。オビ・ワンが呟く前に。
不倫愛人
今の勤務先は自社ビルで、異なるフロアで、異なる部署でもそれなりに同じ仕事、同じお客さん相手の仕事をして交流があるのだが、ビル内の有名人お姉ちゃん(既婚)と、ビル内の有名人お兄ちゃん(既婚)があからさまにラブラブ光線を発していて、当番での電話番も放り出して一緒に昼飯に行ったり、数部屋ある仮眠室をあからさまに隣同士(邪推)にしたりで、皆辟易している。
恋愛は自由だが、愛人はまずいんじゃないの?
とか。なんだかあからさま過ぎませんか、ホントに。喫煙所とかで2人揃って入ってくるとお邪魔ですか。みたいな雰囲気になって非常に気まずい。
1ヶ月程
彼女と知り合って1ヶ月程。自称ワーカホリックだけあって、少しお互いを理解するための時間が足りないと感じている。もう少し密に意識を持ちたいのだが、僕自身も忙しくて、丁寧に対応する時間が取れないでいる。お互い様だね。もう少し、こうしたい、ああしたい、というのはあるけど、今はこうして、このまま進むしかないのだろう。時間をかけて同じ時間を過ごしていくしかない。
振り回されて
20代の頃は正論ばっかり言っていた。衝突して、打ちのめされて、挫折した。とんがっていた。30を超えて、我慢することを覚えた。やり過ごすことを覚えた。人には裏と表があることを覚えた。自分に降りかかる火の粉だけを振り払うことを覚えた。人を様々な方向から追い詰めるテクニックを覚えた。自分が苦しまない術を身に着けて、自分を防御すること。そして、先制攻撃をして、搦手を塞いで、相手を潰すことを覚えた。嫌な人間になった。めんどくさい、と思えばそれ以上絡まない。だって、めんどくさいじゃない。
踊る踊る
さっき、ある場所でコメントを書いていて、思い出した。
昨日が今日でも。今日が明日でも。明日が昨日でも。
頼朝の台詞だっけ。政子がそれを聞いて諫める。今日よりはマシな明日を作ろうではないか。松山ケンイチの清盛は、もはや頼朝の立志伝として見るのが正しい。世の中には虚無感に似たあきらめなくてはいけないことが多すぎる。本当はこうしたいのに。本当は言いたいのに。言わなくても良いこと。空気を読めとか。うざい。あるべき姿とか、何だよ、と。お互い欲望をぶつけあって、きちんと処理すればいいじゃないか。