昨日の晩から猛烈な腹痛と吐き気に襲われて、ひどい下痢に。おかげで仕事を休むはめになった。1日寝てたらだいぶん、楽になったけども、病院行ったほうがいいかしら…腹痛も、下痢も収まったのだけど。
マスゴミ
今朝、出かける直前にフジテレビで被害者遺族とされる方のインタビューが流れていて、なんだ、結局自分で喋ってんのか、くらいに思ったのだけど、この「まとめ」の言い分が真実ならば朝日新聞のだめさ加減がまさに「マスゴミ」と纏めてしまうに相応しいダメさで、何とも言いようのない気持ちになった。
「朝日新聞は約束を破った」–人質被害の遺族、実名報道を猛批判
弔いのためだかなんだか知らないが、所詮はマスゴミはマスゴミであって、それ以上でもそれ以下でもない。3流週刊誌は3流週刊誌だし、そういうものにある程度需要があるのがこの国なのだから。
テロ事件
アルジェリアのテロ事件について。日本人の死亡が確認されたそうで、心からご冥福をお祈り申し上げます。つくづく思うのは、宗教とか、信仰が日常に根付かないこの国では、イスラムであること、クリスチャンであること、仏教徒であること、宗教とは何であるか、というのが日常的に語られないということ。神社やお寺で手を合わせて、頭を垂れるだけが宗教じゃない。もう少し、その辺の理解を教養として深めたらどうだろう、って思うわけです。
蹴散らして、前へ
去年の平清盛と違い、何かしら思わせることがある今度の大河ドラマ。第3回、「蹴散らして、前へ」。示唆にとんだ内容は2つのことを教える。出過ぎないこと、控えることを覚えること。人はそれぞれ、それぞれの仕事にプライドを持つ。他人を否定するような言動は控えること。されど、蹴散らして前へ進むこと。何もしない奴が必ず邪魔をしてくるが、蹴散らすこと。
そして、多くのことはままならぬこと。世の中は多くの場合において何事もままならぬ。正しき事であっても、正義の剣を振るえば、そこには必ず軋轢が生まれるものだ。
9年目
年初最初のメンタルクリニック。9年目に入る。睡眠導入剤だけになったとはいえ、月1回でも通うのはなんとも言えない気持ちになる。費やしてきた時間。費やしてきた金銭。そして、失った何か。過去へ戻ることが出来ないとはいえ、僕にパワハラをした奴は今日ものうのうと生きている。労働基準監督署は機能せず。会社の告発制度も機能しなかった。
所詮、社会はならぬようにはならぬもの。
【書評】ノマドと社畜
@May_Romaさんの「ノマドと社畜」を読了。初kindleで、しかもiPhone5のアプリで読んだけど、3日間、3時間程で読了。書籍としては完成度は正直低いと思うし、雑文の集まりに過ぎないのだけど、450円でこれが読めるのならば、そのへんの自己啓発本や、スキルアップ本が2000円することを思えば充分。
ノマドの急速なブーム拡大と、安易なノマド化への警鐘をならす1冊。スキルアップや、安易な転向は厳に慎むべきで、その通りだと思う。
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届く言葉
届かない言葉、というのは残念ながら存在して、1から10まで口から発した言葉が相手の脳内に届くわけではないし、それがこちらの意図したとおりに解釈されるわけでもない。哀しいけど、それが現実ではないかと思う。
コミュニケーションが必要なので、言葉は発するけれど、結局自分の想いが届くという人は、言葉が届くという人は本当に少なく、そこがある種の敷居値ではないのか、などと思う深夜。
最大の悪は
特許庁のシステム開発がポシャった話で、関連エントリが幾つかwebに上がっているのだけど。
結局最大の悪は「建前」と「ホンネ」を使い分ける日本社会の文化にあると思ってる。いや、皆、ソフトウェア開発に終わりがないこと位はわかっているんですよ。発注側のエンジニアも、開発部門の責任者、マネージャーもね。ただ、その使い分けがあるし、使い分けをしないといけなくて、皆が責任を取りたくないから、予算を使った以上はそれ相応の結果を出さないといけない。
アジャイル的、スパイラル的な増幅開発が当たり前になってくれば、その辺の「思い」も変革があるんじゃないのか、って思うんですけど、駄目かな。
終わり
部分的に巧く動いたり、動かなかったり、ベンダーが作った部品の動作が宜しくなかったり。まあ、色々問題はありそうだけど、1ヶ月ほど格闘してきたコーディング作業は9割方終わった感じ。今週末は年初のメンタルクリニックだし、週末は2日とも休もうと思う。当初は金曜日も代休にしようかな、と思っていたのだが、書類を急遽2,3本作らないといけなくて、どうやら無理そうだ。月末かな。
SIビジネスの終わり
今の開発パートナーを見ていると、SIビジネスの終焉をひしひしと感じる。超water fall開発で設計変更、仕様変更は声高に主張するが、気を利かした仕様の調整、設計の微調整は一切しようとしない。ツッコミを入れるまでしない。アジャイル開発が幅を効かせ始めたのと、SIビジネスの終焉は表と裏だ。ソフトウェア開発は育てるもの。設計、開発、試験、分離した開発をしたいなら、ミドルウェアでも作ってろ、ってことかね。