胃が痛い

今日から休職1ヶ月なんですけど、ワールドカップの決勝を勢いで徹夜してそのまま観ていた。変な時間に飯を喰ったせいか、一日胃が痛くて困った。結局、薬と併用でやんわりなおしていくしかないんだなーという感じ。
前に鬱になった時は、胃の痛みとか、潰瘍とか、そういう身体的な痛みはなかったので、余計に困惑してる。

抑うつ状態

休職する方向で決めたので、抑うつ状態の診断書を貰ってきた。結局あと戻り、元通りで、なんだか、虚しさしか覚えない。今回の原因はなんだろう、とつらつら考えるけど、結局働いても働いても残業代がでないことが一番大きいのだと思う。言ってみれば、燃え尽き症候群で、そうおうに報われた報酬がでなくては何もモチベーションが上がらない、というね。どうすればいいのか、何をするのがいいのか、ちょっとわからない状態。

痛み

自律神経の乱れなのか、全身の筋肉痛のような鈍痛に悩まされている。サインバルタという薬で多少はマシになったと思っていたのだけど、ここ数週間はその薬すら効かなくなってきた。いい加減音を上げて、休職に入るべきだろうか。40歳手前で休職とか、自分のキャリアを自分で殺すような気がして恐ろしい。

A列車で行こう

最近、3DSでA列車で行こうをやっている。多分に現実逃避な面があるのは、あらゆるゲームをやる時と同じなのだけど、やっぱりシミュレーションゲームな一面があるものが大好きなんだと思う。自分のチョイス一つで色々なモノが色々に形を変えて生み出されていく、「何か」が。
ちなみに、「湖水に映る街」でどうしても人口4万人超えが出来なくて、イライラしてる。

教養的なもの

最近、教養的な書物を読みたいとか、読み直したいとか、考え直したいと思って色々検討しているのだけど、本屋で購入を迷っているのが佐藤優の本。どうにも、なんだか、こう決断の一線を超える「何か」が足りない。

[amazonjs asin=”B00K7YJTOM” locale=”JP” title=”サバイバル宗教論”]

必要とされていること

必要とされることに慣れていないんだと思ってる。
愛されている感、必要とされている感は物凄い大切なことだとは思うのだけど、今までにそういう「感覚」が皆無だったから、どうも激変してしまった日常に慣れることが出来ていない。
感覚が微妙なんです。

いまいち

胃痛は回復せず、食道炎もおそらく回復していない。食欲が出ず、常にゲップがでる。
常に会話をする相手が出来たことはおそらくは精神安定的には良いことだと思う。愛されている実感はあるけど、今ひとつこれで良いのか、という自問自答の繰り返しには相変わらず縛られている。
仕事の量は減らず、目の前から遥か彼方へ続く絶望の道に終わりは見えない。

何がしたくて、どうあるべきなのか。否、そもそも。何に絶望していたのか。

哲学

哲学というものが好きで、そこに含まれる含蓄のような教養が好きだったりするわけだけど、言語起源の探索ということで、この前紀伊國屋で見つけたけど、装丁が崩れていたので買わなかった本を一応メモ。

[amazonjs asin=”4062189755″ locale=”JP” title=”言語起源論の系譜”]

【書評】ハジの多い人生(岡田育)

端っこ、という意味で「ハジ」。世の中から弾き出された「端っこ」ではなくて、自分の居場所の中での「ハジ」。
王道ではなく。もちろん真ん中でもなく。ハジ。

多分、似たような人生を歩んできたのかもしれない。随所に頷ける描写があったから一気に読んだ。一気通貫で読んだのは大山のぶ代さんのエッセイ以来かもしれない。ドラえもんのエッセイは泣きながら読んだけど、これは笑いながら読んだ。面白かった。どちらかと言うとマジョリティに属しながらも、マジョリティの端っこ。真ん中をいかず、少しだけ置かれた環境の真ん中からは外れた道を歩いてしまった。だけど、まあ、なんとなく上手くいった?のか、上手く行かなかったのか。結局人生なんて後から振り返った時に良かったと思えれば良いのだとは思うが、自身の人生と重ねあわせた時に、まあ、なんとなく、あれで良かったのかもな、という安心感を与えてくれた一冊。

エッセイの読書は振り返れば椎名誠の「岳物語」あたりからなんだと思うけど、世代間ギャップがなくなった同世代のエッセイも面白いな、と思えた。

[amazonjs asin=”4403220770″ locale=”JP” title=”ハジの多い人生”]

愛する人

何につけ愛する人がいることは良いことだと思うのだけど、果たしてこれでよいのかと繰り返し自問してしまうのは何故だろう。
心の奥底に「彼女」がまだ住んでいるからだろうか。

幸せになりなさい。

と短いメッセージはもう来なくなった。