回復の話

ソラナックスを飲まなくなってもうずいぶんたつ気がします。回復したのか、完治したのか?っていうと多分完治はしていなくて、マイスリーを飲まなければ相変わらず真夜中、早朝に目が覚めるし、異常に気分が悪い状態も時々起こりうる。自律神経失調症を患ったのは他者に起因するとはいえ、どこかで折り合いをつけていけないと生きていけないんですよね。絶望的になってしまうので。

回復の目安が目に見えてわかれば良いのですが。

解決性がない。

勝間和代のまじめの罠 (光文社新書)を読了。

問題提起、おかしくね?このクニは。っていうところはまあ、わからないでもないが、そこから生まれる弊害、と続く提示案からくる解決性が全くわからなかった。結局趣旨は後書きに書いてあったわけですが。弊害の議論の部分も議論の幅というか、議論のターゲットが天下国家レベルなのか、個人の生活レベルなのかも錯綜したイメージ。ただまあ、800円ほどの新書で、高い月刊誌を買ったと思えば、こんなもんかな、とも思う。

目標管理制度

空気を読む、っていう文化が日本を殺して駄目にしてしまったのはその通りなのかもしれない。だけど、目標管理制度、っていう概念が人事評価の根幹をなしている会社はどれだけこの概念がまともに働いているのだろう。その辺は非常に疑問だと思っている。

今日は今年度のこの目標管理制度の面談。まあ、なんとなく、お互い空気を読んで、落とし所を設定する。僕はどちらかというと石橋をたたいて渡りたい方なので、しかも、難癖つけられることを過去の事情で極度に警戒するので、安全な所に落とすように話をリードしていく。でも、それが受け入れられる不思議。ま、いいのか。

再度

1週間前に処置した奥歯の欠けた所がまた欠けた。どういう処置をしたのか詳しく聞かなかったけど、とりあえず、レジンを盛って、整形した感じだったし、奥歯だし、臼歯だし、仕方がないのかなーとは思いつつも。1回保険いれて1000円だしなーと。何か複雑な感じ。

鬱になりまして。

この原作は凄い良いんですよ。実際鬱になった時、母親は何もわかってくれなかったので、この原作を読ませた。だけどな。この篤姫夫婦はどうだろう。見に行くべきか。

iOS5アップデート

さて。今日のメインイベントはiOS5のアップデートですが。いやいや。アップルのサーバに繋がらなかった。結局バックアップも作成できなくて、一度工場リセットの状態にして、iOS5にアップデートして、バックアップから複製。

ばちっと朝5時前に目がさめたのは偶然だったとしても、結局7時半までかかりました。なんだかなー。iCloudもいまいち利点がよくわかっていませんが。

実は歯がかけていた

歯医者に行ったら実は歯が欠けていた、というオチだった。なんだかなー。そんなことないよ!って思っていたのですけれど。結局レジンで整形してもらって終わり。相変わらず嘔吐反射は辛いですが。それにしても、割り込みで無理やりみてもらったとはいえ、1時間半近く狭い待合室で待たされたのにはちょっと辟易。ま、染みなくなったのは良いのですが。

詰め物とれた。

左上の奥歯の歯の詰め物がとれた。以前、ブリッジかけた所に隙間があいて、間を詰めてもらっていた所。1ヶ月たっていないような気がするのだが。1ヶ月半かな。こんなもんですかね。

歯の治療は本当に大事。治療というよりケアだよなあ。小さいお子さんがいる友人たちは本当にケアして欲しいと思う。一生ものだよね。小さい頃に矯正が必要とわかりつつも何の処置もしなかった人生を後悔。ま、今更、って感じだけど。

iPhone4s

昨晩発表されたiPhone4sですが。正直、ちょっと期待はずれだったと思います。

4と5の違いは大きいよね、的なところで。

機能的には、よく練られた改善、バージョンアップだと思いますし、そういう意味では今回のバージョンアップはそれでもいいんじゃないの、という気はします。ですが、まあ、事前リークでiPhone5と、iPhone4Gsの二本立て、という話があったのが大きかったんでしょうね。日本ユーザにとっての最大の利点はひょっとしたら、softbankの脆弱な電波を脱出する機会があることなのかもしれません。

繋がっている感覚

android携帯を自分のものにして2週間あまり。xperiaの着信ランプは常に点滅している。gmailが着信して点滅し、twitterのtlが更新されて点滅し、facebookのエントリーガ更新されて点滅する。

東日本大震災の時、間違いなく多くの人々を「繋げた」のはsocial mediaであって、それで多くの人が救われたことは間違いないのだけど、どうにもこうにも、あなたに「何か届いていますよ」というお知らせは電脳ハブに自分が捕縛されているような気がしてならない。ググレカス、という言葉はエンジニアの特権的階級を明示するような言葉であったのかもしれないけれど、androidとスマートフォンがここまで普及してくると、パソコンがかつて「おたく」の象徴であったことと同じようにぐぐることもそのうち一般peopleの手に墜ちるのかもしれない。