どうする家康#43「関ヶ原の戦い」

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関ヶ原の戦い本編、というよりは、話がサイド、サイドに飛んで、物語としてはあまり見応えがよろしくなかった印象。

戦後処理も画面上のナレーションで済ませてしまって、本多忠勝の名シーン、「殿を相手に一戦仕る」が聞きたかったのだが、それも無さそうな感じがする。

ただ、本多忠勝が名槍「蜻蛉切」の名前を出したシーンは良かった。アドリブだったようだが。

【評】ゴジラ-1.0

「よく出来た」映画だけに、色々と考えさせられた。「シン・ゴジラ」があれだけ興行的に大成功を収めていた状態で「次の」ゴジラを制作することは相当なプレッシャーであったことは想像に難くないが、結果として、特撮映画、怪獣映画ではなく、日本映画として良い形に仕上がったのではないかと思う。

ゴジラは、戦争の象徴、大震災の象徴として描かれてくることが多い作品だが、今回もまた、それは「戦争の」象徴であると思う。

主人公である敷島は、特攻の生き残りで、自らの機体の故障を偽り、特攻から「逃げた」ことで苦悩する日々を送ることになる。

誰かが貧乏くじを引かなきゃなんねえんだよ!

ゴジラ-1.0

ともすれば、「貧乏くじを引くこと」を美化してきた、この国の体質に、この映画は、徹底的に否定的なイメージを植え付けようとしていると感じた。特攻から「嘘をついて」生き残った敷島に、ゴジラに対して20ミリを「撃てなかった」敷島に、最期は震電から脱出して生き残る、という選択肢が用意される。

なんとなく雰囲気で、周りの「空気を読んで」、生きて行かなくてはいけないこの国の住人に、新しい選択肢を突きつけている印象が強く残った。大切なのは何か。もっとも重要視しないといけないのは何であるのか、と。

同時に気が付いたのは、安藤サクラと、浜辺美波、そして神木隆之介が演じた「風景」としての昭和が最早、「時代劇」の部類に入っているということだ。昭和が終わり、平成が終わり、令和の世に、時代劇として、この新作は強いメッセージを残したのではないか。

ゴジラ生誕70周年、おめでとうございます。

帰ってきたあぶない刑事

あぶない刑事の最新作が撮影されている、というニュースはずっと流れていたのだけど、ここに来て、公開日決定の記者会見。

この2人も70歳を超えたんだなあ、と思うと、あぶない刑事で育った世代としては色々と感慨深い。色々なものを知って、色々なものを教わった作品が、大人になっても続いているのは喜びでもある。

アクションも、スタイリッシュさも完璧、と舘ひろしが言っていたけれど、前回は音楽がイメージとかけ離れていた。今回は是非、音楽を大切にして欲しい。