RSS

参拝しません、と言うけれど。

今年も喧騒に包まれた終戦記念日が終わった。韓国にひたすら弱腰な現政府の態度は最早呆れを通り越してどうでもよくなりつつあるが、実害が出るようであれば、日本国民も本気を出すものだと信じたい。国民の一人として。

靖国に現閣僚が一人も参拝しなかった。靖国問題がクローズアップされ始めて30年で初みたいだ。「クリスチャンだから」という某閣僚も何か違うのだが、「靖国に参拝しない」という行為は最早、自己意思の完結としての参拝しない、ではなくて、その国の政府として行動を縛っているのではないか、という気がしている。要は「参拝させない」のだ。公人とか、私人とか、毎年石原慎太郎が怒鳴りつけるような区分は通り越してしまって、昨今の日本人にありがちな「空気を読むセンス」みたいなのがこんなところでもまかり通っている。

良いセンスだ

なんてオセロットが言い出す前にこんな空気は変えるべきだと思うのだけど。

  1. コメントはまだありません。

  1. トラックバックはまだありません。